ishikoのブログ

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口蓋扁桃摘出術。終了!!
漢字多すぎ。
なんて読むか分かんねー。
保険の請求する時、正式名聞かれてアタフタ。

術後、麻酔から覚めて「ワタシツバハカナイゼッタイ」と決めた。吐いたらずっと飲み込めなくて、痛みに負けそうだった。
色んな人のブログとか読んで、細やかに書いてくれてありがたい(TT)と何回思ったか...

でも、二日後の激痛にはさすがに参った、、しそうになった。無心を努めても自然に出てくる唾液。飲み込もうとする度、動く喉の色んな筋肉に痛みが頭の芯までピーーーンて響いて、声も出ず、ベッドの上で蠢くのみ。

6時間ごとに飲む痛み止めは、腎臓に負担がかかるロキソニンは飲めず。少し軽めのやつ。正直「全然効かない」と思ったけど、日に日に良くなっていき、扁桃腺が腫れてる時の体の痛みと比べたら全然がまんできた。

気分を鬱にする右半身の神経痛もピタリとやんで、今は「痛くないってすごい\(^^)/」と普通を味わう日々。

人間の体ってめっちゃ頑丈やけど、ちょっとのバグで気持ちはすぐ鬱になる。

膝が痛い。も、片頭痛。も、生理痛。も。
説明しにくい場合、総称して「調子が悪い」になるコレは憎き病気やな。

旦那が帰ってきて喉が痛くて、体も痛くて、おかえりも言いたくない。何も聞きたくないし喋りかけないでほしい。「疲れたー」っていようものならイラッ。機嫌が悪い私に、「何で怒っとん?」と聞く旦那。無視。

お前は何百回説明したら分かるんじゃい。と心の中で呟く。

そんな体調が改善されつつある。素晴らしいではないか!

痛みで消え去っていた、感謝の気持ちとか、心の余裕とか、色んなものが私に戻って来てくれるかもしれないと思えば、病気で苦しい時間も全部が悪い訳ではないな。

心配してくれた皆様ほんとうにありがとうございます。

っていうキモチ。


今日、夜勤を寝坊で遅刻した。
電話したら「嘘だろ...」と絶句された。
まぁ、自分でもそう思います。はい。
なんでと聞かれても私が聞きたいですと返していたので聞かれなくてよかった。

でも、昔に比べたら目覚ましが聞こえなくて、どうしてこんな何十時間も目が覚めない?!とショックを受ける事も少し減った...多分。
治したくても治らない。説明もしづらいこんな病気になんで私がならなあかんの、と怒っても治らないので受け入れるしかないけど、不公平さを感じる事はやっぱりあるな。健康な遺伝子がほしかった...と言ったら親は泣くんでしょう。こっちが泣きたいわ。

私は絶対に人生の3分の2は寝ている。たまにこんなんで生きとる意味あるんかなって普通に思うけど。死にたくないしな。
40になったらどうなるんだろう。怖すぎて震える。目覚めんのちゃうんかな。

扁桃腺を取ったら体の痛みもマシになるだろうと言われて飛びついたけど手術こわいなー。

口角ぜったい裂けるんだろうなー
顎関節症やしあごもおかしくなるんだろうなー

でも痛いんがマシになるんだったらがんばろ。

薬疹もしんどすぎたし、ちょっと最近疲れとるなー。運動してリフレッシュしたい。できんけど。
お父さんのことが落ち着いて、次は自分の体を労らんと思っていたのに母の弟が末期がんになった。

弟=独身
近くに住む者=母のみ
母=免許なし

=動く者私

またかよ。
役所いって手続きして。父の時に手続きしたんは私だから何をしたらいいかも分からない母に苛立ちながら、する事リスト作成。

もう勘弁して下さい。

と思ったら、父が病気の時にめちゃくちゃ良くしてくれた叔母が庭でこけて足骨折。しかもちょっとボケてきているという事態。
お見舞い...県外...

もう無理って思って断った。なにこの罪悪感。

できることはしたい。でも全部は無理。ということ。

もどかしい。
ああーーーー(*`Д´)ノ!!!


血迷って明日、夜勤の前に美容院予約してしまった。今まで一回もこんな事したことないのに。起きれるかな。無理かも。

取り敢えず寝てみよう。
父が亡くなって10ヶ月。
同じ病室で同じく末期がんだったkさんが数日前に亡くなった。

物事を歪曲させて受け取る父は病状が悪化するに従って母に強くあたるようになったけど、大部屋だと会話が聞こえてくるから、いつもベストなタイミングでkさんが声をかけてくれていた。

ストレスMAXな家族にとってkさんの一言で笑顔になったり嬉しすぎて涙する父をみて「kさん神」と何度も思った。

でも、毎日父の見舞いに行ってた中でkさんの家族を1回も見たことなくて「あの人を見舞う人はおらんのかな」とか思っていたら、父が個室に移りすぐに逝ってしまったから、それどこじゃなくなった。

でも2ヶ月に一回、自分の検診で病院へ通っているからkさんのとこに顔を出すようになった。初めて行くときは「もう来るな」って言われたらどうしよう、とドキドキしながらお見舞いに行ったけど、また来てもいいか聞くと笑顔で「またきいよー」って言ってくれた。

安心して、それから何度か顔を出したけどいつも、父がこんな事言っていたとか、あの人はいいところへいけるよとか、あの人みたいに筋の通った人生を送りたかったとか色んな事を教えてくれて、友人が少なかった父の事を思い出して「kさんありがとう」と毎回伝えた。

最後にお見舞いに行った時は、あまり状態が良くないと聞いて母も一緒に連れて行った。
今度こそ、こんな時に来るなって言われるかも。と思っていたけど、とっても優しかった。「落ち着いた?」と母にむかって笑顔で聞いてくれた。それから何分か喋って疲れるだろうからすぐに「またくるよ」と言ったら「顔見に来てくれて嬉しい」と握手を求められた。母とも握手した。

結局それが最後だった。

ガリガリで、でも手はめっちゃ暖かい。
笑った顔が父を思い出すような顔。
母と、痩せたら笑顔が似るんかな?と言いながら帰った。

亡くなったって聞いた翌日が休みだったので、夜寝る前にお経をあげて寝た。

そしたら、深夜に家のチャイムが「ピンポーン」って鳴ってその音で目が覚めた。

正直夜中のチャイムが怖すぎて布団の中で固まった。旦那は横でイビキかいてねよるし。

(え?なんで?誰?夜中に?いや、コワイコワイコワイ)目瞑ってガチブル

気が付いたら朝。なにあれ。超怖いんですけど。kさんと思っても怖いんですけど。

っていう話。
みんな、私より先に逝ったら違う方法で出てきてね。