尼崎のラーメン屋を巡ってみることにしました。

 

今日行った、麺家「徳」というところで4軒目です。

 

 

情報によると、この麺家「徳」、ラーメン次郎インスパイアだそう。

 

ラーメン次郎のラーメンは、twitterなんかやってるとよく画像があげられているのですが、

 

僕は初めてなので、少しわくわくして行きました。

 

 

外観はこんな感じ。かなり細い建物ですね。

 

 

 

 

注文はラーメンに、野菜、ニンニク、アブラをマシ。

 

注文するとき「野菜ニンニクアブラマシで」って言うのちょっと恥ずかしいですよね。

 

券売機で選べるようにしてくれてもいいんですが、これも醍醐味なんでしょうね。

 

 

待つこと数分、ラーメンが出てきました。

 

 

う~ん。すごい高さですね。

 

まずはラーメンのにおいですが、正直にんにくの匂いでよくわかりません。

 

次にスープのお味は、割と普通の醤油ラーメンて感じでしょうか。

 

マシた油で味もよくわからないんですよね。

麺は太目で、スープがよく絡むようになっています。

 

食べ進めていくと、ラーメンの量に対して器が大きくないので結構こぼれます。

 

このこぼしながら食べる感じも含めて好きな人は好きなんでしょうね。


 

普通においしかったです。

 

このスープ...、あれを使っているのかな、とかそういう難しいことを考えずにとにかくがっつりラーメンを食いたい、満腹感を味わいたい、という人にはおすすめです。

 

逆にもう少し上品に食べたいかなという人のすぐ近くに別のラーメン屋がありますが、そっちがおすすめかなという感じです。

 

 

 

 

花園メリーゴーランドを読んだ。

もう驚いた。

 

webの広告になってたからついクリックしたけど、

 

1巻を読んで、めっちゃ引き込まれた。

 

でも、また1巻はほんとに序盤でこれからどうなるんだろうっていう感じ。

2巻から、村の秘密がわかっていくんだけど、

 

もうなんか、途中で止まられない。

 

出てくる人みんな、いいキャラクターで、

 

俺も、サキちゃんや、みづえさん、あんな人に優しくされたい。

でももう27歳だから、かわいがってもらえないか。

 

まあでも、なんといっても、澄子が可愛いよ。

 

最後のところ、泣きそうになった。

 

連絡先だけがたったひとつつながる手段だったから。

 

ああ、なんて一途で、可愛い子なんだ。

 

あれは、澄子が中学2年生だからこそ抱くことのできた綺麗な感情で

 

それはもう27歳になった読者の自分には

 

この先持つこのできない感情で

 

でも自分にも確実に、少年少女だった時代があった。

 

それを思い出して淡い気持ちにさせてくれる

 

素晴らしい漫画だった。

 

起承転結、話の展開の仕方も素晴らしいし、

 

内容も文化を研究したうえで描いていて、深みがある。

 

絵も、最初は古いタッチだと思ったけど、あの絵だから表現できているものがある。

 

なんて素晴らしい...面白い漫画なんだと、朝から感動している。

 

 

 

 

 

継続は力なり

 

う~ん、素晴らしい響きだ。

小学校の先生が、大好きな言葉。

 

誰もが知っていて、すぐ言いたがるそういう言葉を忌み嫌ってきた。

 

だって、面白くないし。

 

 

でもなあ...、一周まわってというか、何週もグルグルして、

 

やっぱりそこなんだよなあ、と思う。

 

 

思えば小学校のころ頭がよかった僕はなにをして周りに差をつけていたのか。

 

当たり前のことを当たり前にやっていたというだけのこと。

 

宿題をやって、答え合わせをして、わからないところは調べて、翌週提出。

 

それを積み重ねて、あるところでポンっと成績が上がった。

 

やってるときは気づかないほどのこと。

 

それほど当たり前のことを、意外とみんなできてない。

 

それをやるだけで、しっかり差をつけられるんだ。

 

今でいえば、早く寝て早く起きる習慣、風呂に入って歯を磨いて、

 

家事を片す、そして1日に1~2時間程度の勉強。

 

それができればきっといつかどこかで成功できる。

 

特別なことはいらない。難しい理論も方法も必要ない。

 

 

結論、当たり前のことを当たり前に継続する。それが将来につながっている。

 

このブログもそのひとつ。

 

 

 

 

性の描写について

 

 

性の描写は男性にとって必要なものだし、それは制限されるべきではないと僕は思っている。

 

女性の裸を描くことが制限されるべきというのは、女性が自分たちの裸の価値を吊り上げたいから言ってるのだとも僕は思っている。

 

男性と女性ではきっと、性に関するとらえ方が本質的に違っていて、女性がどのようにとらえているかを推し量ることは難しいけど、男性にとっては性欲は発散したくなるものだというのは割とはっきりしている。そしてそれを制限されることはストレス。たぶんそれはオスとメスの違いによるものだと思う。

 

男性にとって漫画やAVは、生身の女性に性欲をぶつけないための工夫、あるいはぶつけられないストレスを逃がすための工夫。女性がそれらを嫌がるのは、自分たちの裸の価値を下げられているように感じられるからだろう。

女性一人ひとりが、自分自身の裸の価値を守りたいというならそれは結構なことだけれど、性的な描写のあるものを制限することで、女性の裸を自分たちだけのものにしてしまうというのは、いかがなものだろうか。僕には、代用品を禁止して市場を独占し値段を吊り上げる行為に思える。それは少し横暴ではないだろうか。

 

 

 

寝坊。

 

仕事に寝坊するのはもう6回目かな。

 

 

まあ悪いのはわかってはいるんだけど、

 

今回感じたのは、

 

今までは申し訳ない気持ちしかなったのが、

 

今回はむしろ寝坊ぐらいでなんでごちゃごちゃ言われないといけないのか

 

っていう気持ちの変化だ

 

別の係りの人間は6時にはほぼほぼ帰っている中、

 

9時やら10時まで残って残業して

 

なんで30分の寝坊でとやかく言われなければならないのか

 

ただ、こんな気持ちになって思うのは、

 

今まではたいした仕事もしていないのに迷惑かけて申し訳ないって気持ちで

 

自分を責めてストレスに感じることが多かったが、

 

今は開き直ることができている。

 

人より仕事している、できることをやっているという感覚が

 

自分を守ることにつながるということ

 

 

これはとても重要なこと。

 

情けはひとのためならず、という言葉があるが、

 

似た原理で、なんで俺がやらなければならないのかと思うことをしていれば

 

まわりまわって自分のためになるのだと。

 

今後は率先して他人の仕事まで手を出していくべきなのだと思う

 

 

 

 

久しぶりに撮りためた深夜アニメを連続視聴した。

 

アニメ 冴えない彼女の育て方♭ を9話まで視聴。

 

う~ん....とうならざるを得ない内容だった。

 

 

9話内容は、一緒にサークルを作ってきたメンバーが、ほかのグループから勧誘を受けるというものなんだけど、その中でキーになるのが、プロデューサーの能力についてだった。

 

クリエイターの能力は、緩んだ空気の中ではその真価を発揮しないし、伸びもしない。

その能力を引き出すことがプロデューサーの仕事。

プロデューサーは、優しくて甘い人間ではなく、厳しく命令できる人間でなければならない。

クリエイター自身も、自分の能力の向上のために、厳しく命令されることを望んでいる。

プロデューサーに求められることはそれ、それをできるかどうかが、プロデューサーの能力。

 

 

実はこれ、別に創作活動に限らないことなんだろうなあと思った。

 

少し前に、とっても優しい彼女ができて、僕もその子が好きだったし、その子も僕を好きでいてくれたようなんだけど、結局うまくいかなくて半年ほどで別れた。

 

その子は体力的にも、精神的にも少し疲れていて、仕事を休職してた。

だから、少し休みたかったのかなあと思っていた。

僕はその子になるべく優しく接しようと心がけていて、責めるようなことは一度も言わず、よく褒めた。

それがその子が求めるものだろうと思ってたいので。

 

でも、結局別れることになったので、どうしてだろうと思っていたけど、こういうことかと。

 

その子はこのアニメでいうクリエイターだった。

本当はもっとやれる力があった。勉強して、社会に出て、もっと自分を伸ばすことができた。

その子が本当に求めていたのは、褒めて甘やかされるこじゃない。

ほしいのはその場しのぎの安心感ではなくて、自分の能力をもっと引き出してくれる人や、環境だった。

 

僕といても何も変わらない。そう思って、離れていった。

 

う~ん...、この。

 

 

と、納得したところで、続きの視聴に戻ろうと思う。

 

安心は怠惰、人生において一番重要な教訓かもしれない。

 

 

 

少し大きな書店なら必ずあると言っていい、ペン字の練習帳。

 

本当にきれいな字が書けるようになるのだろうか...。

 

これからまだ50年ぐらいは生きるかもしれない(現在26歳)ので、

ここらでひとつ、達筆になっておこうと思い、購入。

 

今日からひと月間、ひたすら書いていこうと思う。

 

ちなみに今の状態がこれ。

 

ひと月後、はたしてどんな字が書けるようになっているのか。

 

 

人生には目標が必要だ。

 

目標を持ち、自分の人生が前に進んでいると、確信することをが重要だ。

 

なぜか。

 

人生には時間制限があるからだ。

 

誰もがそのことに、寿命というものを、あるいは死というものを知った時から悩まされる。

 

その時間の中で、自分は何をして生きるか。

 

その選択が死ぬまで続いている。

 

答えを出さずに、何も選ばずに生きていることは、それだけでストレスなんだ。

 

誰かに必要とされることで、好きになってもらうことで、

 

ごまかすことはできるかもしれない。

 

でも、結局自分は、常にその誰かの言葉や行動に悩まされることになる。

 

自分の人生を自分で選び、決め、前に進んでいると確信できることが、唯一その苦しみから逃れる術なんだ。

 

それを理解し、実行に移せることが、その人間の人生を面白いものにする。

 

それ以外、人生を面白くする方法などない。

 

 

笑いを生み出すこと...

 

ずっと、それがとても大切なことのように思ってきました。

笑っていれば大体のことは苦になりません。

金がなかろうと、顔が悪かろうと、笑っていれば楽しくなれます。

自分が誰かを笑わせてあげられるようになれば、なんて素敵だろうと。

笑いを生み出せるやつになることが一番大切なことだと、ずっと思っていました。

 

が、そうでもないのでは...、と最近思うようになりました。

笑わせようと必死なやつよりも、うざくないやつのほうが、

なんだかんだ女性にもてるんです。

金があって顔がよくていつも笑っていれば、それが最強。

そこまでいかなくても、それなりの見た目で、あとはにこにこしているだけでもいいんです。

 

人を笑わせるのは割と難しいことですが、

女性は実はそれをさほど求めていないんです。

女性はテレビを見て勝手に笑っているからです。

目の前の男に、笑わせてくれることを期待していません。
笑わせてくれる男より、好きにテレビを見せてくれる男がいればいいんです。

 

男の幸せは女性に好かれるかどうかにかかっていることは言わずもがな。

ということは、男にとって一番大切なことは、

人を笑わせて存在感を示すことよりも、

それなりの見た目を保ち、何も考えずにこにこしていることだということです。

 

女性に何をしてあげられるかではなく、

女性がしなければならないことをどれだけ軽減させられるか、なんですね。

 

自分は長い間、勘違いをしていたのかもしれませんね。

 

 

 

はげ...寂しい響きですね。

 

世の中でははげを笑う習慣が昔からありますね。

いえ...、悪いことではないんです、そういうものです。

禿げている人も、笑ってごまかしたい、ごまかしてもらいたい、という気持ちを持っています。

だから、いいんですよ。

 

でもまだ26歳だし、もう少しの間だけ...

親しみやすさよりも近づきがたい(いい意味で)と思われたいような

そんな存在でありたいのです。

 

思えば、ときめてもらうことが僕の人生の目標だったのかもしれません。

それが僕のすべてだったのかもしれません。

 

一生かなうことがないと思うと、やっぱり少し、寂しいですね。