伊波盛秋先生を偲ぶ会~感謝~
すべてのプログラムが終わり、どんな時も盛秋先生を支えてくれた奥さん、そして先生を立派に育てて下さった両親からのメッセージがあり、涙ながらに皆さんに感謝を一生懸命に伝えてくれました。
『皆様、私どもは宝の中の宝を失い、大変な日々を過ごしました。しかし、皆様のおかげでこれからも頑張っていけるという力強い気持ちになりました。本日の会のように、盛秋のことを時々思い出してもらえると嬉しく思います。今日は本当にありがとうございました。』
みんなの心に響く挨拶が終わり、お兄さんが『他に誰かメッセージのある方はいませんか?』
と、会場のみんなに呼び掛けました。
すると、先生の奥さんが手を挙げ大きな声で
『はい!私にはどうしてもこの人に話してほしいです!』
そういうと奥さんは僕のところに向かって来て、手を握りしめて壇上へ上げさせられました。
驚きました。
実は先生を偲ぶ会の前日。
盛秋先生の長女からメールがありました。
『石川さん、伊波盛秋の長女です。石川さんがFC琉球にいる時にお父さんは、俺の教え子が試合に出るんだと言って弟と一緒にしょっちゅう試合を見に行って自慢してましたよ。私は学校の実習で沖縄に行くことが出来ないのですが、場所がわからなかったり何かあればお母さんの携帯に連絡して下さいね!』
という内容でした。
本当に嬉しかったです。
告別式の時に見知らぬ方に声をかけられました。
『君が石川君か。僕は盛秋の同級生なんだけど、いつも君のことを嬉しそうに話していたよ。一番の教え子だって。これからもサッカー頑張ってな。』
色んな想いが溢れでてきました。
僕は安慶田中学校一年生の時に先生にサッカーの楽しさなどを教えてもらいました。
いよいよこれからだと意気込んでいた時、先生は僕が二年に上がる時に宜野湾高校へ移動になりました。
当時、先生がいなくなることで絶望と悲観的な思いになり号泣しました。
しかし、先生は当時サッカー部を強化していた宜野湾高校の練習にまだ中二だった僕を参加させてくれました。
そして先生が移動して半年ほどで宜野湾高校は一年生中心のチームで高校サッカー選手権・沖縄県大会を優勝してしまいました。
宜野湾高校へ行って盛秋先生と一緒にサッカーをして、全国大会へ出たいという新しい希望に満ち溢れていました。
しかし、僕は怪我をしたことがきっかけでサッカーから離れ、友達と深夜遅くまで遊ぶことに夢中になってしまいました。
結局、先生との夢、約束を果たすことが出来ず他の学校に進学しました。
それから僕は先生に後ろめたい気持ちもあり、全くと言っていいほど顔を合わすことが出来なくなりました。
それから月日が流れ、FC琉球がJFLに昇格したシーズンのある日、地元でジョギングをしていると大きな声で
『翔二!しょーじ!』
盛秋先生でした。
『頑張ってるな!おじいとおばあは元気か?体絞れてるな!』
いつもと変わらない短パンにショートソックスの先生でした。
僕は当時のことを謝りたかったのですが言葉が出ませんでした。
『はい、おじいもおばあも元気です。』
先生は嬉しそうに
『良かった!おっ、
和樹(我那覇)みたいにお前も頑張れよ!試合見に行くしたまには子供たちともサッカーしに来いよ!じゃあな!』
先生はいつものように、いつもの大きなバンに乗って走り過ぎていきました。
謝れなかったことが情けなくて後悔しましたが、それよりも先生に声をかけてもらえたことが何よりも嬉しかったです。
それが先生との最後の出会いだと思っていました。
盛秋先生、
試合、見に来てくれてたんですね。
声かけてほしかったです。
気がつかなくてすみませんでした。
先生のおかげで僕は今でもサッカーと生きています。
まだまだ未熟者ですが、先生のような熱い指導者になれるように頑張ってみようと思います。
これからも宜しくお願いします。
文章力の無い長いブログを読んで下さった皆さん、ありがとうございます。
![$ハイサイ!沖縄/琉球蹴人 ガッツ石川オフィシャルブログ Powered by Ameba](https://stat.ameba.jp/user_images/20110220/10/ishikawashoji/83/f7/j/t02200165_0800060011062150943.jpg?caw=800)
宜野湾高校サッカー部OB 盛秋先生大好きなメンバー☆
『皆様、私どもは宝の中の宝を失い、大変な日々を過ごしました。しかし、皆様のおかげでこれからも頑張っていけるという力強い気持ちになりました。本日の会のように、盛秋のことを時々思い出してもらえると嬉しく思います。今日は本当にありがとうございました。』
みんなの心に響く挨拶が終わり、お兄さんが『他に誰かメッセージのある方はいませんか?』
と、会場のみんなに呼び掛けました。
すると、先生の奥さんが手を挙げ大きな声で
『はい!私にはどうしてもこの人に話してほしいです!』
そういうと奥さんは僕のところに向かって来て、手を握りしめて壇上へ上げさせられました。
驚きました。
実は先生を偲ぶ会の前日。
盛秋先生の長女からメールがありました。
『石川さん、伊波盛秋の長女です。石川さんがFC琉球にいる時にお父さんは、俺の教え子が試合に出るんだと言って弟と一緒にしょっちゅう試合を見に行って自慢してましたよ。私は学校の実習で沖縄に行くことが出来ないのですが、場所がわからなかったり何かあればお母さんの携帯に連絡して下さいね!』
という内容でした。
本当に嬉しかったです。
告別式の時に見知らぬ方に声をかけられました。
『君が石川君か。僕は盛秋の同級生なんだけど、いつも君のことを嬉しそうに話していたよ。一番の教え子だって。これからもサッカー頑張ってな。』
色んな想いが溢れでてきました。
僕は安慶田中学校一年生の時に先生にサッカーの楽しさなどを教えてもらいました。
いよいよこれからだと意気込んでいた時、先生は僕が二年に上がる時に宜野湾高校へ移動になりました。
当時、先生がいなくなることで絶望と悲観的な思いになり号泣しました。
しかし、先生は当時サッカー部を強化していた宜野湾高校の練習にまだ中二だった僕を参加させてくれました。
そして先生が移動して半年ほどで宜野湾高校は一年生中心のチームで高校サッカー選手権・沖縄県大会を優勝してしまいました。
宜野湾高校へ行って盛秋先生と一緒にサッカーをして、全国大会へ出たいという新しい希望に満ち溢れていました。
しかし、僕は怪我をしたことがきっかけでサッカーから離れ、友達と深夜遅くまで遊ぶことに夢中になってしまいました。
結局、先生との夢、約束を果たすことが出来ず他の学校に進学しました。
それから僕は先生に後ろめたい気持ちもあり、全くと言っていいほど顔を合わすことが出来なくなりました。
それから月日が流れ、FC琉球がJFLに昇格したシーズンのある日、地元でジョギングをしていると大きな声で
『翔二!しょーじ!』
盛秋先生でした。
『頑張ってるな!おじいとおばあは元気か?体絞れてるな!』
いつもと変わらない短パンにショートソックスの先生でした。
僕は当時のことを謝りたかったのですが言葉が出ませんでした。
『はい、おじいもおばあも元気です。』
先生は嬉しそうに
『良かった!おっ、
和樹(我那覇)みたいにお前も頑張れよ!試合見に行くしたまには子供たちともサッカーしに来いよ!じゃあな!』
先生はいつものように、いつもの大きなバンに乗って走り過ぎていきました。
謝れなかったことが情けなくて後悔しましたが、それよりも先生に声をかけてもらえたことが何よりも嬉しかったです。
それが先生との最後の出会いだと思っていました。
盛秋先生、
試合、見に来てくれてたんですね。
声かけてほしかったです。
気がつかなくてすみませんでした。
先生のおかげで僕は今でもサッカーと生きています。
まだまだ未熟者ですが、先生のような熱い指導者になれるように頑張ってみようと思います。
これからも宜しくお願いします。
文章力の無い長いブログを読んで下さった皆さん、ありがとうございます。
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