「鳥の目」と「虫の目」で議論を
私も議員としてベテランと呼ばれる年齢になりました。
そして、ある程度、「鳥の目」で市政を見ることができるようになりました。市全体の財政状況を理解し、他市に比べ清瀬市はどのような税収が少ないのか、予算の配分ではどの分野が手薄であるか、おおよその全体像を俯瞰して見ることができるようになってきたと思います。
一方で新人議員のなかには、例えば障がい者の支援や子育て支援など、ひとつの問題に対する情熱から議員を目指す人がいます。それは良いことだと思います。国の制度が立ち遅れた分野では、それに憤る人々の声に後押しされて当選してくる議員にはエネルギーを感じます。「虫の目」から問題点を追及する議員は強い。
ところが、その議員の関心はワンイシューであっても、議員には街全体の予算やきまりを決定する責任があります。日本の基礎自治体の守備範囲はかなり広く、福祉・教育・都市整備・産業振興など、多方面にまたがっています。農業に従事する議員であっても、介護保険の条例やごみ処理費用の予算について議決する責任があります。国会議員であれば政党の中で役割分担して、不得意な分野はほかの人にまかせることができますが、定数20の清瀬市議会レベルでは、ある程度のオールラウンドな見識が求められます。
新人議員はここで一つの壁に直面します。ワンイシューで当選してきたのに、都市計画や高齢者医療などよくわからない条例に対して、賛成/反対をどうすればいいのか…。政党に属していて、政党が「解答」を用意してくれるならば、それに従えばいいでしょう。しかし政党は個々の地域の個々の事情まですべて把握しているわけではないので、地方のことは地方議員自らが判断することのほうが多いと思います。
「鳥の目」と「虫の目」の視点の違いは、どちらかが正しい/間違っているという問題ではありません。老若男女と関心事でそれぞれ違った視点をもった議員がいるのは多様性の確保で良いことです。それらの議員がそれぞれの視点から議論し、妥協し、解決策を探っていくのが本来の地方議会のあり方だと思っています。
しかし、残念ながらそうなっていないのがほとんどの地方議会です。議論はありますが、そのほとんどは「議員vs行政執行部」の議論です。議員vs議員の議論がほとんどないのが地方議会の問題点です。議員提案の議案については、議員どうしの議論はありますが、そのほとんどは政党単位でのイデオロギーの違いによる反対意見の応酬に終わり、妥協し合いながら最適解を探っていく議論とは程遠いのが現状です。
昔ながらの地方議会では、古参の議員(多くは高齢の男性)が、議論をリードし、若手議員がしぶしぶ従う、という構図があるようです。しかし清瀬市議会ではそうした封建的な図式はとうの昔になくなり、いまあるのは国政政党の対立の図式だけです。
「鳥の目」「虫の目」のテーマから少し外れました。私は「鳥の目」議員vs「虫の目」議員の議論は、議員を鍛え成長させるためには必要な図式ではないかと思っています。マックス・ヴェーバーは『職業としての政治』のなかで「政治家にとっては、情熱、責任感、判断力の三つの資質が特に重要であるといえよう」と述べています。私なりに解釈すれば、責任感は新人議員も古参議員も当然持ち合わせなければならない資質です。一方で情熱は、やはり新人議員のほうが熱量は高いように感じます。その一方で判断力は、「鳥の目」を持つ古参議員の方に分があると思います。繰り返し述べますが、多様な視点から議論し、妥協し、解決策を探っていくことが政治の醍醐味だと私は考えています。「虫の目」で問題点に焦点を当て、「鳥の目」で制約条件を考慮しながら最適解を探る。そんな議会にしていきたいと思います。