清瀬市はなぜこれほど財政が苦しいのか | 清瀬市議会議員  石川秀樹のブログ

清瀬市はなぜこれほど財政が苦しいのか

・財政力指数最下位(0.657:2022年度)

・高齢化率5位(28.07%:2022年)

・公的な住宅率1位(都営・UR・公社)(20.8%:2018年)

これらの指標は、いずれも多摩26市のなかでの清瀬市のランキングです。

 

清瀬はなぜ財政が苦しいのか。それには3つの原因があります。

1点目は、線路の南側に広がる病院街の存在です。昭和6年に結核の療養所が誘致されてから、清瀬の南口には最盛期で15の結核病院と約5千人の結核患者が入院治療していました。結核が治る病気になってからは、結核の病院から一般病院へと転換され、さらには福祉施設への転換も進んだため、住民数あたりの医療・福祉施設数は全国トップクラスとなりました。私が卒業した清瀬高校も、特別研究生として学んだ日本社会事業大学も、もともとは病院の敷地でした。病院、福祉施設、学校からの固定資産税収入は一般の企業にくらべはるかに少ない額です

 

2点目に、線路の北側に広がる広大な生産緑地の存在です。ほうれんそうやにんじんの生産高は都内1位です。農地は清瀬の自然のシンボルであり誇るべきものですが、税収の観点では、農地のほとんどを占める生産緑地は1㎡あたり1円の固定資産税しか税収が入りません。

病院街も農地も清瀬のシンボルなので大切にしたいものですが、財政面だけを考えると税が入ってこない土地といえます。財政力の弱い自治体には国から地方交付税が交付されますが、100%補填されるわけではないので、どうしても都内の他の自治体に比べると財政の弱さが目立ってしまいます。

(清瀬市の土地利用方針図 「都市計画マスタープラン」より)

水色の部分は病院街、薄い黄色は農地と低層住宅、緑は団地・集合住宅

 

財政力が弱い理由の3点目は、昭和40年代に市の周縁部を中心に、大規模な都営・公団(UR)・公社住宅が建設されたことで、清瀬市の公的な住宅率は都内で1位になっています。モダンな団地生活は当時のサラリーマンにとって憧れの対象で、団地に当選するのは宝くじ並みの確率であったと言います。旭が丘団地も私が住む台田団地も、当時はどこの家にも子どもがいて、大きな団地ができるたびに学校が建設されました。都心に通うサラリーマンが清瀬に多額の住民税を納めてくれましたが、いまでは団地の高齢化率は50%を超えました。かつて税金を納めていた世代が、いまは福祉サービスを受給する世代になりました。当然、介護関連の福祉サービス費は膨張します。福祉が充実するのは歓迎するべきことですが、それを支える財政力がありません。