73 教会
ほどなくして、教会の前にたどり着いた。今朝、古家に案内してくれたおじいさんと
出会った場所だ。
「まったく、何だったのかしら、あの連中。下品なことばかり言って。雇い主の顔を
見てやりたいわ!」
建物の中は、どこよりも懐かしい匂いがする。安堵した私は、扉の外に向かって
思いっきりあっかんべーをしてやった。それから、やおら髪を覆うストールを取ろうとして、
自分の手がこわばって震えていることに気付いた。
どうしたの、私・・・まるで怯えているみたいじゃない・・・?
確かに、さっきのいやらしそうな連中は、ブロンド娘がどうだとか言っていた。
金持ちの娘とか、雇い主様のフィアンセとか。そんな言葉に、またニールの差し金では
ないかという気が、しないではなかった。連中が探しているのは実は自分なんじゃないか、
そう思った途端、気持ちが悪くて鳥肌が立った。
だけど!
世の中に、金髪の女の子はたくさんいる。お金持ちと言ったって、アードレー家のような
大富豪とは限らない。裕福な家の子は、私のような養女も含めるなら、それこそ何人もいる。
それにね、私には、フィアンセなんてものはいないもの。エルロイ大おば様が、結婚相手を
見つけられないならニールと婚約させるとおっしゃっているだけ。
そうよ、だから、話題に上っていたのは、きっと私じゃないのよ。
ね、だったら、何を怯える必要があるっていうの。
第一、私はさっき、ひとりじゃなかった。震えるほど怖かったわけがないわ。
私は、抱えていた黒い布地に目を落とした。これはテリィがー、そう、あのテリュースが、
学生に扮して、朝から身に着けていたマントだ。テリィと私とは、今、ここボストン近郊で、
アルバートさんの家を探している。さっきも、マーチン先生が描いた絵を見たおじいさんが
教えてくれた古家の中で、私は、テリィと二人でいたのだ。そこへ、あの連中がやって来た。
テリィ・・・。私が見つからないように、このマントを上にかけてくれた。
そして、直後にあがった女性の悲鳴、あれはあなたの演技よね。
声で連中をひきつけ、外に連れ出した。わざと自分がおとりになるみたいなことをして。
壁を壊し外に出たテリィ。彼の“声”を追いかけたチンピラ風の二人組。
あの後どうなったのだろう。彼らは、どこへ行ったの?テリィは大丈夫?
あの二人よりは、テリィの方がずっと俊敏そうで、まさか、つかまったりはしていないと
思うけれど。
私は、側廊の太い柱をいくつか越えて、祭壇の方へ向かった。
堂内は、外の温もりが嘘のように冷えわたり、他に人の姿は無い。
私は祭壇に近い席で、ひざまづいた。そして、荷物を置き、両手を組んで目を閉じた。
汗ばんだ衣服が、冷たく肌に張り付いてくる。
神様、私たちは、他人様の家に勝手に入った上、崩れかけていた壁をさらに壊して
しまいました。家の持ち主にちゃんとお詫びしますから、どうぞお許しください。
そして、どうかテリィが無事でありますように。間違っても彼の顔には絶対に怪我を
させないでください!彼は、女性の役で舞台に復帰したばかりなんですもの。
お願いします。それから、テリィがこの教会を思い出して、戻って来てくれますように。
と、そこまでつぶやいた時、どこかで空気が動いたような気がした。
私は慌てて立ち上がった。
横手の扉が徐々に開く。白い光が、扇のように弧を描き石敷の床に広がった。
現れたのは、マッチ棒のようにヒョロリと痩せて背の高い男性と、数人の少年たちの
シルエット。やがて、扉が閉まり、ロウソクの灯りとステンドグラスから注ぐ控えめな光に
再び目が慣れると、マッチ棒のような男性は、丈の長い黒いキャソックを着た神父様だと
わかった。神父様を取り囲むようにワラワラと入ってきた少年たちは、
皆そろいの金の刺繍のある濃色の服を着ている。
神父様の視界に私が入り、落ち着いた穏やかな目がこちらを見た。
瞳の色は陰になっていて、よくわからない。
その目を見た私は、今朝この教会に入ろうとしていた訳を急に思い出して、
彼に話しかけた。
「あの、初めまして。私、キャンディス・ホワイトといいます。」
「どうも、こんにちは。マクラーレンです。」
神父様は、足を止めて微笑んだ。優しそうな目じりに一、二本シワが寄る。
40歳ぐらい、だろうか。背が高いわりには肩幅はあまり広くない。それだから余計に細長な
体型に見えた。片腕に薄い書類の束があり、小さな男の子がその袖にぶら下がるように、
くっついていた。少し大きな少年たちは、立ち止まらずオルガンの方へ歩いて行く。
「マクラーレン神父、もしご存知でしたら教えていただきたいのですが。」
「何でしょう、私にお答えできることであれば。」
「ありがとうございます。実は、私、この辺りにあるマッカードルさんというお宅を
探しています。この友人の家で・・・、今は彼のおばさんが住んでいらっしゃる
ようなのですが、家の場所をご存知ありませんか?」
私は、神父様の前で、例の似顔絵を広げた。絵の中のアルバートさんの上に
縦の折目がいくつも付いていて、それを伸ばそうとして、私は紙を左右に引っ張った。
男の子が一緒に絵をのぞき込み、これ誰、と言って首を傾げた。
「マッカードルさんですか。ふむ。残念ながら、この絵に描かれている方にも、
同じ姓のご親族の方にも、私はまだお会いしたことがないようです。」
神父様は、期待を込めて彼を見つめる私に向かって、すまなさそうに言った。
「そう、ですか・・・。」
アルバートさんの生家を、いえ、それどころか彼自身のことを、
教会の神父様までもがご存知ない。これまで会った人たちも、誰も知らなかった。
あのフェドーラ帽のおじいさんが教えてくれたのは、家違い、そして人違いだった。
探す場所が違うの・・・?
あの晩の電話で、ケンブリッジかと尋ねたとき、あのひとは、そうだと答えた。
その地に行けば簡単に見つかると思っていたのに・・・。
「私は、ふた月前にこの街に来たばかりなのですよ。前任の神父なら、きっと知って
いるでしょう。来週ちょうど彼が来ますから、お友達の家のことを聞いてあげますよ。」
マクラーレン神父は、親切な方だった。
前任の神父様に、アルバートさんの家のことを聞いてくださるという。さらには、私が、
自分は遠くから来ているので再びお話を伺いに来るのは難しいと伝えると、
それならば手紙で結果を知らせましょうと、そう言ってくださった。
私は、急いでポケットの中を探り、うまい具合に紙切れを一枚見つけた。
シワシワでちょっと汚れたような手触りがしたけれど、伸ばしてチリを払えば使える。
私はペンを借り、自分の連絡先を書き置いていくことにした。
「ボストンへは、ご家族と一緒に旅行ですか?」
少年の一人が持って来てくれたインク壺にペンを浸し、私が自分の手の平に置いた紙に
文字を書き始めたところで、神父様が何気ない様子で尋ねた。
「いいえ・・・ええっと、旅行中は、父に頼まれた人が付き添ってくれています。」
今のご時世、私ぐらいの年齢の娘は、家族や世話役の付添無しに旅行などしないらしい。
だから、誰かに聞かれたら家出娘と怪しまれる前にそう答えておけと、テリィに言われていた。
「そう、お父さんに頼まれた人・・・」
つぶやいた神父様の視線が、私の背後を行ったり来たりしているのに気付き、
私は思わずペンを持つ手を持ち上げ彼にインクをはねかけそうになった。
「あ、あの、違うんです!付き添いの人は、付き添っていません!」
「?」
神父様は不思議そうな顔をした。
「ええっとですね、今はいませんけど、きっとそのうちに、ここに来ると思います。
ですから大丈夫です!あの、それより、これが私の住所と名前です。よろしくお願いします!」
神父様は、少し目を見開いて、私の指先のくたびれた紙きれを見つめた。
それから一瞬間を置いて、柔和な笑みを浮かべた。
「お友達の名も忘れないようにここに書いておいたほうが良いですね。
綴りはこうかな、M、A、C、A、R・・・」
マクラーレン神父は、紙切れの余白に、アルバートさんの姓を書き留めた。
正しいスペルを知らない私は、何も言わずその手を見ていた。それから彼は、
くたびれた紙片をゆっくりと折り畳んだ。紙の裏側に見たような曲線があった。
何だろう、船の絵だったような気がした。
あ!あれは、テリィがオンボロ家で拾った紙!私、持って来ちゃったの!
・・・何かを破り取ったような、古くて汚い紙切れだし、別に盗んだと言われるような
シロモノじゃないわよね?・・・だけど、勝手に家の中に入り壁を壊したことを謝るなら、
この紙のことも、家の持ち主に一緒に謝ったほうが良いかもしれない。
「あの、もうひとつ伺ってもよろしいですか?街のはずれの、古い家のことです。」
私は少し上目づかいに聞いた。
「古い家?」
「ええ、すぐ前に大きな松があって、今にも崩れそうな家です。」
「ははぁ、それは川の近くにある家ですね。その家の話なら少し知っていますよ。
この教会を改修した時に、昔その家を建てて住んでいた人物から、多額の寄付が
あったとか。」
神父様は、折り曲げた紙を書類の束に挟み込みながら答えた。
「その人物はどなたですか?」
「ニューヨークを経て中西部で事業に大成功した方ですが・・・、ずいぶん前に
亡くなられているようです。」
神父様は祭壇に目をやりながら言った。
「それでは、今は、全然別の人が家の持ち主なんですね。」
どうやら、フェドーラ帽のおじいさんが懐かしがっていた男性は、亡くなっているらしい。
シワシワのおじいさんより年上の人のようなので無理もないけれど、若い頃の姿が
アルバートさんによく似ているらしいその人に、ちょっぴり会ってみたかった気がする。
「今の持ち主は、最初の持ち主の子孫です。家と庭はもちろん、周囲が広い空地に
なっていて、それらも全て所有している。しかしね、全く手入れをせずに放置している
ものだから、荒れ放題のひどい有様だ。あなたのような若い娘さんは、あんな場所には
近付かないほうがよろしい。」
神父様は眉をひそめて言った。
「まぁ、どうしてですか?」
ついさっき、テリィとその家に入って来たばかりだ。
「今は、大統領選挙と、大学の引越の影響で、街中を浮かれた空気が覆っています。
嘆かわしいことに、酒を飲んで騒ぐ者や得体の知れないならず者が、朝からゴロゴロ
している。誰も行かない荒れた場所は、そうした者たちのたまり場になりやすいので、
危険なのですよ。」
私は曖昧に相槌を打った。
得体の知れないならず者には、空き家に侵入した他所者の私たちや、チンピラ二人組
も該当しそうだ。
「暗がりに女性を引き込もうとする酷い輩もいると聞きました。若い娘さんは特に
気を付けなければいけません。付き添いの方が迎えに来るまで、ここで待って
いらっしゃい。・・・おや?もしかして、あの方かな?」
神父様が言った。
その視線をたどると、壁に揺れるロウソクのすぐ近くに、それとわかる影があった。
ああ、テリィだ!いつの間に来ていたのだろう。
「ああ、そうです!まぁ、どこから入ってきたのかしら。全然気が付かなかったわ。
彼です、神父様。」
私は心底ホッとして、向き直って神父様に伝えた。
「良かったですね。では、そろそろ歌の練習を始める時間なので、私はこれで失礼を。
気を付けてお帰りなさい。・・・ああ、そうでした。オードリー、いや、アードレーでしたな。」
オルガンのほうへと一歩進んだ神父様が、突然何かを思い出したように振り向いて、
そう言った。咄嗟のことに、私は、自分の名前を言われたのだと思った。
「え?ええ、はい、アードレーです。」
マクラーレン神父はニッコリと笑った。優しげな瞳が青くきらめいた。
それから彼は、足元にまとわりついている小さな男の子の肩を優しくたたきながら、
向こうへと歩いて行った。
私は、すぐに、テリィのもとに走った。彼は、腕を組んで壁にもたれていた。
近づくと、彫り物のような容姿を照らすロウソクの炎が、大きくまたたいた。
彼の顔は綺麗なままだ。身体にも、怪我は無さそうだった。
「テリィ!無事だったのね、良かった。あの人たちはどうしたの?」
「・・・さぁな。今頃、船酔いでもしてるだろう。」
抑揚の無い乾いた声が返ってきた。
「船酔いですって?」
テリィは、オルガンの側で子供たちに話しかける神父様の姿を、チラリと見た。
それから、腕に体重をかけて、重たそうに外に出る扉を押した。
たちまち、私たちは、まぶしい光とぬるい空気に包まれた。
「テリィ?」
「・・・早く出ようぜ。気分が悪い。この匂いが大嫌いだってことを、久々に思い出した。」
テリィはうんざりしたようにそう言って、外に出た。
「匂いって・・・もしかしてフランキンセンスの香りのこと?」
私は彼に続いて表に出ると、後ろ手に扉を閉めた。
「タバコの煙のほうが百倍マシだろう。」
テリィは、石段を下る途中で立ち止まってタバコ入れを取り出し、中から一本抜き取った。
「タバコの煙のほうがマシですって?ちょっと、あなたの鼻、おかしいんじゃない?」
「はん?何をおっしゃる。おかしいと言うなら、君の鼻のほうが、だいぶ変じゃないか。」
テリィはムッとしたように言って、タバコをくわえた。
「なっ!ええ、そうよ、どうせ、私の鼻は形が悪いでしょうよ!!何よ、失礼しちゃう!」
私は顔が熱くなって、叫んだ。
テリィはマッチを擦ろうとした手を止め、ぽかんとしてこちらを見た。
それから大口を開けて笑い出した。
「ははは!おいおい、誰もしていないぜ、鼻の形の話なんて。だいたい君は、昔から、
どうでもいいつまらないことを気にし過ぎだな。」
豪快に笑う動きに合わせて栗色の髪が揺れた。
何の演技もない、無防備な素の笑顔。飾らない笑い声。
私は思わず彼から目を逸らした。
「ふ、フンっ!つまらないことを気にして悪かったわね。
・・・それで、あの連中、どうしたのよ?」
私は自分の勘違いにばつの悪い思いで、横を向いたまま、尋ねた。
「あ?ああ。港が近くてね。お二人、勝手に勘違いしなさって、
俺の“声”を追って、どこだかへ向かう客船に乗り込んだってわけだ。」
テリィはおかしそうに答えた。
それから彼は、少し硬い口調になって言った。
「君のほうは収穫があったのか?さっきの神父に、あのひとのことを聞いたか。」
「ええ・・・でも、神父様はこの街にいらしたばかりで、アルバートさんのことも、
彼の家のことも、ご存知なかったの。だけどね、聞いて。来週、あの神父様が
前任の神父様に確認して、お手紙で教えてくださることになったのよ。」
「来週、か。君は帰った後だな・・・」
「お手紙が届いたら、あなたにも知らせるわ。それに、まだ帰るまで少し時間があるんだし、
ここにいる間に、わかるかもしれないわよ。次はどこに行ってみる?」
「・・・お姫様と会う前に知りたかったが・・・」
テリィはため息をついた後、軽くかがみこむようにして、タバコに火を点けた。
煙を吐きながら遠くに向けた彼のまなざしは、どこかぼんやりとしていた。
その時、私は、視線を感じて顔を通りに向けた。
前の通りを渡ったところの木の陰に、薄茶色のスーツを着た、どこにでもいそうな
中肉中背の男の人が立っている。さっきの二人組ではない。
私が見ていると、その男の人は、すぐに歩いて行ってしまった。
さっきから、テリィは全く顔を隠していない。ニューヨークのホテルのロビーや
列車の中では決して外さなかったサングラスすら、かけていない。
ファンでなくとも、ちょっと知っている者が見れば、遠目でも彼だとわかってしまう。
「そのままでは目立ち過ぎよ。」
私は、水色のストールを彼の手に返した。
「クソ、面倒だな。いっそのこと、女に化けようか。」
テリィは悪態づきながら、風に乗せるようにストールを広げた。
そして、タバコを口の端にくわえたまま、頭と背中をピタリと布で覆うと、
クネクネと腰を振りながら、残りの段を降りて行った。
一瞬どうかすると本物の女の人より色っぽく見える後ろ姿に、
男物の長いズボンと靴が滑稽だった。
「いやだ、何それ、そんな歩き方じゃ、かえって目立つわ!」
私はプッと噴き出して、それから彼の後を追いかけた。

