自分は、現在、役者の仕事以外にメメントモリという会社に属しております。

宣伝してる訳でもないし、リンクは貼ってるので、詳細は見て頂ければという感じですが、簡単に言うと、死の悲しみを緩和する手助けをしております。

丁度、三年前になりますが、自分は父親を亡くしました。

そして、その死の直前ぐらいに、メメントモリと関わる様になって、死に対する価値観はそれまでと比べて大きく変わった気がします。

犬の事も普段ブログにアップしてますが、彼らは基本的には自分より先に死にます。

そして、もし、仮に、自分が先に死んだとしても、余程のことがない限り、残された犬を受け入れてくれる場所はまずないでしょう。

なので、今の自分の人生の中で、『犬を残して先に死ぬ』という選択肢だけはないのです。

以上を含め、自分は愛犬の全てを受け入れる覚悟で飼育してます。

そして、他の飼い主もそうだろうと思って普段から接していますが、意外過ぎるぐらい、そういう感覚の飼い主はいません。

今が良ければそれで良いのかな?

…まあ、それもそれで良いんだけどね。



…いや、良くないな。

ちゃんと考えて欲しい。

命を育むってそういう事だから。


まあ、そんな話は別の機会で話すとして、そんなこんなで死を身近に感じる中で、近親者には最近「自分、『生前葬』がしたいんだよね」と言っております。

それを伝えた際に、「今じゃないでしょ」とか「気が早い」だなんだと小言を受けた事もありましたが…


自分が明日も明後日も生きているなんて保証ってあるんですかね?



コレを読んだ機にもう一度考えて欲しいのです。



明日、アナタ、死んでいるかもしれませんよ?


自分の敬愛する『まんぷく』が今日はたまたま、親父の命日に、且つ、生前葬の回でしたが(正確には日が変わっててだけど)、自分は改めて思いました。

来年の誕生日は生前葬をします。

親しい人だけ集めて生と死を感謝出来たらこれ以上幸せな事はないよね。

一旦死んだつもりで40のスタートを切ってみる所存です。



お父さん、命日だね。

何一つ感慨深くないけど、こんなエモい文章書かせてくれてありがとう。

多分、きっと、素面で読んで後悔すると思うけど、まあ、それもありだね。



股旅!