12月9日にラブエリミネーションを観劇。
バタバタしてて時間がたってしまったが、その台本を見て振り返りながら。
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「上演パンフレットのごあいさつ」を見て、、、
”ゴシック体で「トラウマ」と殴り書き”という箇所について、
「ゴシック体」とフォントを指定したのは何故だろうか、と。
調べてみると↓のよう。
”クリアな視認性”がここでの意図に合いそうな気が。
”黒いモヤに包まれた”の後の文章で”クリアな視認性”の意図が出てくる対比、
意図じゃない気がするが、なんか面白い。
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いかん、台本の1ページ目の1段落目から考えすぎた。
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最初の最初で、前輪を修理?しているところは何かあるだろうと予測していたものの、
その後の「SNSって怖いな。すぐ繋がっちゃいますもんね」なクダリ。
後々のゴタゴタに関連するというフリでもあるが、
SNSを普段使わない人にとっても、SNSとはどんな影響があるかを伝えておくことで、
万人に事前情報を与えているのかも?と思った。
それとは別に、えりみの「峠、人死ぬんで」「無理したらめっちゃイライラするんで」
「マシントラブルなどあればまた共有してください」というセリフ。
今思うと、様々なフラグ立ててたんだ、と振り返って思う。
何事もイントロ大事。
でも、このフラグや説明に気付かなかったからと言って問題は無いが、
もし気付いたら、ストーリーの中で別シーンとの紐づけができる面白さがありそう。
これって、普段の生活で起きることも、そういう紐づけの連続かもね、と思ってみたり。
(コネクティングドッツ的な)
そういえば、ドラマ「セクシー田中さん」第8話 倉橋朱里ののセリフ
「そういうことなんじゃないかって思うんです。たとえば、コンビニのスイーツが美味しかった。眉がキレイに描けた。一つ一つは些細(ささい)だけど、たくさん集めると生きる理由になるじゃないですか」
を思い出した。関係無い話だが、後述する小さな?ゴタゴタに対しても、
色々あるけど、それを小さく超えた先に何かあるような気もするし無い気もする。
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土曜の価値への拘り:
中盤と最後に「土曜の価値」についての拘りが出てくる。
この話題以外にも全体を通して、
「失って気付く大事さ」みたいなものが散りばめられているのかも?と思った。
カップル同士のイザコザ、えりみとぬりえの関係など。
その話で考えるとぬりえさんの「みんな普段自転車点検しているか?、、、」のくだり。
自転車以外のメタファーもありそうな気が。
例えば、この劇では人間関係のメンテナンスとか。
リカの家族に対する怒りもその一つ。
色んな人間関係のギスギスが、錆びついた自転車のギスギスに繋がる?という狙いがあるかどうかは分からないが、
そういう見方も出来そうな気が。
さらに、岡田の「違うパーツ、違うパーツで、どんどんなくなって、、、」のくだりで、、
なんだろう、もはや自転車の各部品がそれぞれの人たちで、
ますます自転車が壊れることと人間関係が壊れることが繋がっているかも?と。
先に書いたコネクティングドッツ的な話も、個人としての経験の繋がりだけじゃなく、
他人との繋がりで線が面になるのかも、とか思って、
その感覚で劇も周りも見直すと色々面白い気がする。
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ぬりえさんの「結局無調になれる人間がキツイ坂、超えられる」のくだり。
これ以外にもぬりえさん、いいこと言っている気がする。
自分的にはぬりえさんが一位(?)