昨日,近鉄アート館で舞台を見てきました.
概要は以下のとおり(↑からの引用)
尾道直生(おのみちなお)は劇団ロータスブルームの看板俳優・向井咲矢(むかいさや)に憧れ上京。
新人劇団員として、シェアハウスで個性的な仲間と暮らしながら将来を夢見て稽古の日々。
しかしもう一人の看板俳優・綿矢航平の退団で劇団人気はドン底、公演が次々中止に追い込まれてしまう。
さらに、シェアハウスからは契約解除の話が。
さらにさらに、「夢をあきらめて故郷へ戻れ」と兄が来訪。
まさに人生、四面楚歌! 背水の陣!
直生は絶体絶命の危機を乗り越えるべく奮起するも劇団員達はどこか諦めモードですれ違うばかり。
そして頼みの綱の咲矢にも、誰にも言えない大きな悩みが…。
果たして直生は夢を叶えることができるのか?
そして本音をぶつけ合い、信じた道を突き進めるのか?
夢を追いかける人に、夢を諦めた人に、夢なんて見られなくなった人にお送りする、
人生を折り返しながら重ねて進む、笑って泣けて熱いエンターテインメント演劇!
「夢」についての内容です.
で,今回見て思ったのは,「夢」と「物差し」.
(物差しは本編では出てきません.下記,本編との関係性低いです)
主テーマである「夢」が,様々な人,状況,視点から描かれています.
それらを,
- 物差しの長さの違い,
- 単位の違い,
- 質(プラスチックもあれば竹もある)の違い,
- 形の違い(直線か三角定規か),
みたいな関係で,相互に繋がっているのでは?とパッと見思いました.
例えば,
長さの違いは,短期的な夢(就職とか?),長期的な夢(人生全体レベルとか?)なのか,
単位の違いは,一つの行動が与える影響力とか(1mm単位だと1つの動きでも周りに与える影響が小さく,1cm単位だと大きい)
質の違いは,夢を見るジャンルの違いとか.
形の違いは,直線的にまっすぐ異なる変化をするのか,それともグルっと回った原点の夢があるのか(別の職業についたけど昔の夢が気になるとか)
みたいな.
(直交していないので理系的には気持ち悪い)
「夢」という見えないものを物質的に捉えると,「夢」という言葉が輪郭を持り,違いが出てくる.
見た目の違いによって,
夢があるのか,それとも無いのか(=物差しがあるのか)
夢に踏み出せているのか,自分は踏み出せていないのか(=どの単位,どの長さなのか)
など,そもそも違う物差しの上で距離を測っていることが見えてくる.
つまり,違う物差しで他人と比べても仕方無いというか.
(↑綾,恩田,坂上の会話のくだりはそんなイメージ)
シェアハウスに居る人は,入居時に,ある時間までという長さ(期限)が決まった物差しが渡される.
その物差しの端まで進もうとするが,途中で退去する者も出てくる.
ただ,物差しの端が夢が叶った状態だと無意識に思い込んでいませんか?
物差しのある時点までたどり着いた経験や,その時点に居ること自体が夢が叶ったという見方もできるのでは・
(堂島,坂上,相沢のやりとりがそんなイメージ)
直生は,元々目指していた夢が周りの状況により叶わなくなる.
それは,物差しが折れたような状態(?)
ただ,折れたからこそ,新しい物差しを見つけることが出来て,
新たな夢のレールに乗ることが出来る.
夢のスタート,中断,ゴールは自分で決めてOk.
ってことで,
他人と違う物差しに良し悪しは無いので他人と比べても仕方ないし,
どんな形のものでも笑うものでもないし,
壊れたら新しいものを探せばいい.
むしろ,自分が形を決めた物差しを見つける,
その物差しに線を引くスタートとゴールを自分で決めることの方が大事なのでは?という気が.
で,それを使って線を引いていくことが,
夢に向かって真っすぐ進んでいることになるのかも.
そんな中で今自分は何ができるんだろうか.ってことを考えるきっかけになった作品.
がんばろ.