会社の同僚が出演した劇団デマチカヤナギ第一回公演「爆着サステナブル」を見てきました。(4/29 18:30の部)
 

 

 

 

 

 

 


上記webからあらすじ抜粋:
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舞台は、社会学科の大学生・大河大二郎が<地域の人たちのたんすの肥やしを通して社会学をのぞく>というコンセプトで企画した
「まちかどファッションショー」の楽屋・・・しかし、本番当日、大河がこない。
それでも助成金のため、他の学生たちは、企画内容を知らないがなんとかせねばならず・・・。
トークゲストで呼ばれた野田教授、服を勝手に転売している掃除のおばちゃん、
色恋沙汰を泥沼化させていくメイキング担当のカメラマン、知らないメイクさん等を巻き込んでいき、、、
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こちら↓を見た感じ、1年前からレッスンをしてきたのかな?と思います。

コロナなどやり難い環境下で工夫など乗り越える苦労は多かったのかと勝手に想像します。

 

 


さて、以下、記憶の限りの書きなぐり。

[舞監さん]
舞監さん。
怖い舞監さん。
ひげの舞監さん。
前半に「舞監さん」の印象を強く意識づけ。
役としては登場しない舞監さん。
観る側のイメージに委ねられた舞監さん。


舞監さんの輪郭をクリアにしていったのは南部。

舞監さんの説明は大半南部から。
南部は、あのメンバの中ではおとなしめキャラとすれば、そのメリハリをつける存在の舞監さん。

南部のキャラ、恐れ感、そこから浮き出てくる怒られているであろう姿の想像を通じて、
上下関係の上の立場であることを強く印象づけられた舞監さん。

[舞監さんからの佐竹さん]
はしゃぎすぎた佐竹、谷口が舞監さんに怒られる場面も
舞監さんの説教キャラを印象付けていなければ、成り立たないはず。
この場面でいうと、佐竹が落研出身ということも数回埋め込まれておいたことで、
お調子者が怒られる流れに繋がる。

リアルな場面で、文化祭などでちょけて先生に怒られる子供、クラスに一人はいたはず。
そういう実体験でありそうな場面を想起。
加えて、怒られた佐竹が谷口に慰められるシーンは、親子関係と紐づいており、↑のちょける子供とリンクしていそう。

佐竹を軸にいうなら、ショーの現実感を膨らませる存在か。


今思うと、大学関係者と舞監さんはどういう関係だったのだろうか?。。。


[三島の家族]
前半で大二郎が見つからずファッションショーのスケジュールが不明なとき、教授が「わかりそうな人に連絡してほしい」と。
三島がお母さんに電話。展開が早くスルーしてしまいそうだが、何故お母さん?
これはお母さんというネタだったのか、リアルにお母さんが状況を知っているのかこの段階ではわからず、
きっとお母さんが知るか、ということだったのか? もしそうなら突っ込んでおかないと観る側、ボケに気づかず。

一方で、後半、三島呉服店のくだり。あるいは、三島両親がファッションショーを見に来るくだり。
三島両親が来ることから、あらかじめ段取りを両親に伝えていたのか?
それとも、両親がくるぐらいなので実家に住んでいて、自分の部屋にスケジュール(のたたき台)があるのか?
(いや、それは考えすぎ)

[深山の活かし方]
入場時に配られるパンフレットには「近くの芸大の学生」とある。
大二郎との関係性は舞台から読み取るとして、「芸大」と明記されているところに、
何かしら意図が隠されているのかも?(他の人は大学生という情報しか与えられていない)

その時々の状況が人を変えるのかも?という社会人にありそうなものを感じられる存在。
1)不安げな立場で登場(大二郎に頼る存在)
2)→ ディレクター昇格(強味を活かした活躍)
3)→ 大二郎との別れ(古橋に頼る存在)

「芸大」かつ「ファッションショーの仕切り」という環境によって深山の強みが活かされる。
事前情報と深山の勢いから活かし方がみえる一方、勢いありすぎるので大企業ではなくベンチャー企業で活躍するタイプ。
勢いありすぎ=ハサミのシーンのこと。

[野田から覗き見る、自分視点と他人視点の立場の違い]
野田は社会学の堅い教授という立場。
谷口によると昔は教授は神様という立場。
親世代、野田世代の視点から観ると上に位置する存在として扱われる。
それを野田自身が呼ばれ方を変えることで位置をさげようとする。

[ファッションショーにおける野田]
著書の中で「失われる地域性、みんなが同じ服を着ていることを嘆く」ことから、
最後は100均?の衣装?をつけたり、鎧(?)着ていたり、
思想の現実化を図った解き放たれた教授。

[サステナブルと多様性]
サステナブルと多様性には矛盾があること、
サステナブルはヒッピー時代から言われていること。
この2点から、
「矛盾とバランス」と「何をいまさらサステナブルと言い出しているんだ、この社会は」という感じが浮かんでくる。

前者は、この世の中、何が正解というものはなく、バイアスなくバランスをもって解決していかないといけないんだろうなということ、
多く目にすること(メディアでSDGsと連発しだしたこと)で、人がある意味、コントロールされていて、
偉い人が決めた正解があたかも正しいかのようなバイアスを植え付けられる。
盲目的に信じ込まず、客観性を持つことが大事。

後者は、行動変容のためにはラベル付けが必要だということ。
当たり前は皆にとっての当たり前ではなく、メイクさんにとっての当たり前は社会にとっての当たり前じゃない。
なので、ヒッピー時代の当たり前が社会の当たり前では無かったのかもしれません。
そこに偉い人(権威)がラベル付けすることで、多くの人がそうすべきだと同調し、当たり前化する。

サステナブル=線で繋がった過去から未来、多様性=自由度の高い刹那的な広がり。
サステナブルって狭く長い、多様性って広く短い?
サステナブル&多様性って掛けあわせると狭く、短くなってしまいそう。その場しのぎ。知らんけど。

[古橋と清水、実は影のディレクター?]
大二郎が取り仕切ってアフリカに発送するのであれば、送り先は大二郎が知っていても良いはず。
それを知らなかった&掃除のおばちゃんがそれを仕切るわけがないので、
そもそもこの企画が出た時点で、古橋と清水は服をネット販売するつもりだった。
そう、清水は大二郎に働きかけて、アフリカに寄付するということを吹き込んでいた。
その社会貢献から大学から補助金をもらっていたのだ。
つまり、服を売る行為は大した問題ではなく、大学を騙して金を搾取したことが裏の問題であり、そのために大二郎を操った影のディレクター。

、、、ってことは無いと思う。

舞台的には、
古橋爆買い ← お金問題 ← 清水と利益合致 
という流れ。

社会問題に切り込んでみると、清水がそうせざるを得なかったのは、
掃除のおばちゃんの給料の問題で、所得格差の是正へと発展させようとしたが、
何を書いているのかわからなくなったのでストップ。

今回の登場人物としては清水の完璧ではないけど悪いことをするというキャラは好きかも。

[古橋、ファブリーズ担当]
これは楽な担当では無いか?
って書いて思ったのが、ファッションショー当日に地域の服が届いてた?
だとしたら、ファブリーズ担当は服が届くたびにファブリーズをしなければならない忙しい担当(?)
コロナ時代だし(ファブリーズでは対処できないが)
衛生の大事さを問うている(!?)(考えすぎ)

[We Margiela]
アマプラだと以下。

 

 


作品はまだ観ていないが、https://www.fashion-press.net/news/43664 あたりを観ると、
常識を超える、靴下でジャンパーを作る、未完成なメイク
「未完成な女性たちが自信にあふれ輝きだすのよ」
世間の評判は「キワモノのショーだ」と、その後、マルタンはマスコミを避けるようになる。

今の時代なら多様性で評価されそうなのに時代がマッチしなかったのね。
大二郎、あるいは舞監さんの存在と深山の狂気はこの辺りからのオマージュか。

[丸岡さんとは何だったのか?]
皆が「あの人は誰?」といっていた丸岡さん。
舞台的には、進行役として役立っていたのではないか。
また、「拍手をもらえると報われた気がする。形が無いものの方が持続可能」

人の記憶は他人に邪魔されないとするならば、拍手をもらったりして心動かして記憶に残るものは、確かに持続可能なのかも。
形が無いと他人との分かち合いをしにくいので、持続可能なものは個人個人で異なるのかも(?)



どうでもよいことだが、ソファーの肘のところに乗った丸岡さん。ソファーが傾くのではないかと観ていて心配になった。。。

[中道さん、作戦失敗か?]
大二郎を探しに来た中道さん。
きっと、大二郎と深山を繋ごうとしていたのではないか?
深山が買った服の代金を立て替える中道さん。
優しい人なんだろうね、きっと。

しかし、大二郎モテモテやな。

[謎]
1.
羽ケ崎さん?金ヶ崎さん?
前半で、羽ケ崎さんの服を探しておくということ、金髪の人であるという振り。きっと大事な地域の人(?)
最後に、探していた服が見つかる場面でも名前が登場。
この人をピックアップしたのはいったい!?

2.
三島の背中のドラゴンのくだり、よくわからなかった。というより背中に小さいドラゴンがあったのかもしれないが、席からはわからず。
テレビや映画だと背中をアップするのだろうが、舞台だと遠くからでも小さいを表現しないといけないので、
見せ方の難しさがこういうところにあるんでしょうね。

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服は気分を変えるコスパが良いものなので、閉塞感強い今の状況では家の中であっても着替えることで気分を変えてみてはどうでしょうか?

 

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[脱線]

web3の記事を見てたら、M. マクルーファンの以下の言葉があった。

マクルーハンはまた,「メディアはマッサージである」とも言っている.もちろんこれは「メディアはメッセージである」をもじったものであろうが,それ以上に深い意味があると思われる.メディアは,我々の社会の至るところに存在している.つまりメディアは常日頃から我々の五感を刺激を与えている,ということになる.メディアはマッサージの如く,我々人間を揉みほぐしてくれる動的なものであると言えよう.事実,メディアは人々をつかみ,揺すぶり,転がしまわしマッサージしている.

 

 

 

服もメディアの一つなので、多様性のあるものをガンガン浴びていくことで、新しいものがでてくるのかなーと思ったり。