日本列島の素顔
日本列島を南から北に歩いて、動植物、菌類などを展示している。
四方を海に囲まれて、表層から深海まで多様な生物がいる。
ミズダコのレプリカ、ものすごく良くできている。
日本に落下した隕石
宇宙からふりそそいだ石。
ガラダマは入っていませんでした。
日本列島の生い立ち
日本列島は新生代に入って、大陸の東岸が地殻変動によって剥がれてできた。
そのため、アジア大陸にいた恐竜、首長竜、アンモナイトなど、中生代以前の生物の化石も出土する。
日本列島になってからは、氷河期に大陸から大型哺乳類が渡ってきた(多分人類も)。
生き物たちの日本列島
氷河期が終わって大陸から孤絶すると、日本列島の多様な環境に合わせて生物も独自の進化を遂げる。
ヒグマのおしり。
日本人と自然
上の写真は湊川人、オーストラロイドが南シナ海を島伝いに北上したと考えられている。
真ん中は縄文人。
魚を銛で突いてきて、これからクリなどと煮炊きして食べるところ。
働いている現場に姥山貝塚公園があって、縄文時代の集落があった。
こんな風に暮らしていたのかと思うと面白い。
下の写真は弥生人。
稲作が本格的に開始され、農作業から帰った男性と家族が、米を炊いているのを見ている。
自然をみる技
日本人は自然を観察することに興味をもっていて、欧州の貴族のように趣味でやるだけでなく、実際の農業などに役立ていた。
また新しい文物を取り入れることにも積極的だった。
下の写真は、時刻を知らせるために自動的に太鼓がなる時計。
黒沢明の用心棒のシーンにあるように、江戸時代は岡っ引きのような番人が、太鼓や拍子木をうって時刻を知らせていたが、それの自動版、役にたったのだろうか。
4月の続きの日本館の常設展示紹介はお仕舞い。
せっかくなので、地球館にも行ってみる。
雨が降っていたのでルーフガーデンは閉鎖中でした。
ヨシモトコレクション
哺乳類のはく製を、生息地や種類にあわせて展示している。
どれも生きているみたいに見える。
イヌワシ
孫の名前にちなんで鷲の写真を撮る。
宇宙探査の歴史
そのうち素粒子よりも小さい粒子が発見されるかも。
地球各地に拡散するホモサピエンス
オーストラロイドが、オセアニアの島々を航海する様子。
ポリネシアからハワイへの航海を再現している。
大量絶滅の証拠・中生代最後の日
地球は生命が誕生して以来、何回か大量絶滅が発生している。
これは今のところ最後の大量絶滅、6,500万円前、中生代が終わったときの地層の記録。
ダイオウイカの標本
地球の生物は、生きている環境に合わせて進化して、大量絶滅から生き残っているのだが、最も優れた仕組みをもつものだけが残っているわけではない。
ダイオウイカも、クジラやサメ、魚類との競合では有利だと思えないが、深海では生態系のトップにいる。
ここまでで国立科学博物館はお仕舞い。
ちょっと休憩してから、雨が本降りになる前に上野公園をぶらぶらする。
国立博物館と上野公園の噴水
上野公園は、寛永寺の広大な敷地を、明治維新後外国人の提言に基づいて、都市公園として整備した。
後ろに見える国立博物館のあるところに寛永寺の本坊があった。
外国人観光客に交じって、外国人観光客みたいな恰好で自撮り。
東照宮と五重塔
東照大権現(徳川家康)を祀っているのが東照宮。
説明をみたら、三代家光、十五代慶喜も祀られていた。
慶喜は大政奉還後、寛永寺内の御坊で謹慎していた、きっと五重塔も眺めていたのだろう。
彰義隊墓所
大政奉還をしたにも関わらず、徳川家の力を削ぐために薩長土肥を中心とする勢力が、自分たちが官軍であるとして起こしたのが戊辰戦争。
徳川家は、勝海舟の働きで無抵抗、江戸城も無血開城したのだが、御家人や脱藩浪人が彰義隊を結成して上野の山に籠城、官軍に抵抗した。
大村益次郎が、本郷の加賀藩邸から長射程のアームストロング砲を放って、彰義隊は壊滅する。
反乱軍なので墓所などがなかったのを、国内の反乱鎮定後、立てこもった場所を墓所とした。
西郷隆盛像
戊辰戦争だけでは国内の反乱は収まらず、新政府に不満をもつ薩摩藩士を中心として西南戦争が行われた。
反乱軍は西郷隆盛を担ぐことで、国内の士族が結集すると考えていたのだが、残念ながらそうはならず、熊本城まで進軍するもその後は敗走を重ね、西郷が自刃することで反乱が収束した。
西郷隆盛は反乱軍の将であるが、一方で明治維新の元勲、明治天皇の信頼がとても高かったので、周囲の人間の努力で名誉回復し、上野の地に銅像を建立することになった。
西郷は写真嫌いで、写真も肖像画も残っていない。
お雇い外国人が西郷の弟と甥の顔を基に、関係者に聞きながら、没後描いた絵のみ。
服装も反乱軍の大将なので、まさか軍服というわけにいかなかったのだろう、着流しで袴もつけないラフな姿になったそうだ。
生き帰り8.8キロ、6時間歩いてお仕舞い。