ノーベル物理学賞に、日本人の青色LEDの研究者、赤崎勇氏・天野浩氏・中村修二氏が決定した。今回の3名同時受賞の意義は、大変、興味深く、三者三様の研究者としてストーリーや、テクノロジーの歴史などが垣間みれ、それぞれの功績とその役割に心より賞賛を送りたい。

1960年代に赤色LEDが発明され、以降黄色の開発へと進歩したものの、光の三原則である青色の開発が進まず、実用化への大きな壁とされていた分野で、80年代に赤崎・天野氏らにより、青色LEDの基礎技術の大部分が実現化された。その後、それらの技術を駆使して製品化にこぎつけたのが中村氏だ。

中村氏といえば、徳島の中小企業で辛酸をなめながら開発に関わり、後に勤務していた企業を相手に発明対価を巡る訴訟を起こしたことで有名な人物だ。満足な研究費や、協力者・スタッフなど人的サポートが乏しい過酷な環境で研究を続けた不屈の精神の人だ。今日の日本が知的財産の保護や流出阻止についての議論が高まるきっかけになったことは間違いない。研究者でありながら開拓者としての彼の功績は大きい。

一方、赤崎氏は、生粋の学者畑の人。戦中戦後にかけて、大学を中心に結晶などの研究を重ね、70年代頃から、松下電器や名古屋大学に籍を置き、青色LEDの開発に没頭した。大企業と研究機関のバックアップが整った良好な環境に恵まれ、研究を結実させる事ができた自身の境遇に感謝した赤崎氏は、特許料の一部を母校に寄付し、業績の紹介や後進の育成の場である「赤崎記念研究館」が設立されている。

そして、両氏と比べて知名度が高くない天野氏は、30年に亘る赤崎氏との師弟関係が示す通り、いたって地味で、ひたすら自分の研究テーマを追いかける研究馬鹿の様な人だ。高齢で学者畑の赤城氏の偉大な功績を、若い世代が実用化する為の「使える研究」に進歩させた中村氏との間のとりもちのような役目だったのかもしれない。

今、世界中で誰もが使っているスマホも、この3人のうち一人が欠けても実現しなかったのかもしれない思うと、なんだか最先端テクノロジーの世界も人間臭く思えてくる。

三人同時受賞、心より賞賛を送りたい。