本日3月11日。
東日本大震災から3年が経ったこの日、改めて追悼の意と、色々な角度から復興への政策が見直される中、「命を守るとはどういうことか」という根本的な問題について深く考えさせらた。

宮城県が進める防潮堤建設に、住民から反対意見があがっていのだが、彼らの声が実に心に響く。

「命を守る防潮堤だと云うけれど、自分の命は自分で守るしかないってことが、この前の震災で良くわかった。防潮堤なんかに頼るよりも、とにかく高いところに逃げたもん勝ち。」

そしてこんな声もある。

「私らは海と生きて来たんだ。防潮堤で囲って海が見えなくなるくらいなら、命を守れても生きてる意味がねぇ。」

ふと思い出すのは、ある車いすの利用者の言葉だ。

「バリアフリーは確かに便利だが、それがあたり前である事に慣れてしまったら、私たちは自分でできることの範囲を狭めたり、互いに支えあいながら、不便や困難を乗り越える工夫をしなくなってしまう。だから私は、建物よりも心のバリアフリーの方を進めたいですね」

命を守る政治って何だろう。
単純に生命や財産を守ることと少し違うのかもしれない。そこに生きる人々の尊厳を守ることや、心を寄せ合い生きることの意味とか、そういうものをしっかりと感じとれる政治を目指したい。