維新の会が舟中八策の骨子を発表した。

ひとつひとつ読んでいくと?と思う事もあるが、全体に流れている「競争社会の原理を維持し、個人や地方自治体の自立を前提にグローバリズムの中で勝ち残る人材を育成しながらも、富裕層の一人勝ちにメスを入れ、格差是正にも本気で取り組む」という精神は賛同したい。というよりは、この路線以外に日本が生き残る道は無いということは大抵の識者はわかっていると思う。わかっていてなぜこれまでの政治にできなかったのか?

答えは単純だ。議会により決定するという議会制民主主義のシステムでは、個人の意志は社会正義という大義を選挙によって得る事によって反映される。だから自分の属する業界や団体や自分が住んでいる地方自治体に優位な政策を望むのは当然の権利だ。それが過度に自分の属する既得権益の保守に走り過ぎた結果が現在の日本の姿なのだ。舟中八策では、この選挙システム自体にメスを入れようとしているあたりに本気さを感じる。しかし、そもそも民主主義といのは個人のエゴを民意という大義に置き換える数のトリックであるという性質で或る以上、そこには既成政党よりも優位に立ちたいという彼らなりのエゴが透けて見えると言えなくもない。

話をもとに戻そう。舟中八策は良く出来ているし、骨子としてやりたい事も良くわかる。これを作ったメンバーは、恐らく本気で日本のことを考えているだろうということは推測できる。ただ、実際に既得権益に絡む人々を動かすには「策の優劣」よりも「信頼関係」が重要だという認識が圧倒的に欠けている点は、これまでの頭の政策集団が歩んだ失敗と同じような頭でっかち感を感じる。


民主党は選挙公約をマニフェストと言い換え、更にはみんなの党はアジェンダと言い換えた。維新の会が舟中八策と言い換えたところで、現段階では理想を並べた紙切れに過ぎない。ここは一旦、大阪目線から離れ、日本の過疎地域や衰退する第一次産業、国土や憲法などの国家観など、日本全体にはびこる既得権益の呪縛から解放されない人々の現実に目を向ける必要がある。都市部のサラリーマンだけが日本人ではない。

維新の会は民放が手がけた高視聴率の番組のようのものだ。例え視聴率は望めなくても、刺激的な娯楽もなく、エンターテイメントやトレンドなどとは縁のない過疎地域の高齢者が安心して視聴できる番組を作り続けるNHK目線が加わった時に維新の会は本物の政治集団になるのかもしれない。