簡単に繋がるということは、とてつもなく恐ろしいことだと思う。まるで目の前に存在しているかのように文字を発するが、それは即時遮断や排他性が可能な速度の暴力。

 連絡先として包含し、自らの都合で捨てられる事物として、これはインスタント姓なのではないか?インターネットは超秩序世界だろう。そこは、恣意の秩序性で満たされた圧倒的蜃気楼。

 

 インスタント姓が受け入れられるのは大きな要因があるんじゃないか?と思うが、私はその要因として、定期購入やサブスク、サイクル、タイパ(そもそもそれはコスパの範疇な上に、タイパは本来は誤用なので、以後極力はタイエフェ)の概念が加速させていると思う。集団客観の出入りを高速化させ、同一性化を果たし、捨てる。なにも買い切りなら良いとかそういった話でもないが、倫理は更に遠ざかり、快適な秩序化によってストイシズムは死に絶える。

 こうして倫理が集団客観に置き換わり、応答可能性はむしり取られ、デミウルゴスの用意した秩序へと回収される。集団主観って面白いよね。なんか居酒屋の団体客みたいなイメージでさ、団体だと急に無礼講だったり騒いだりオッケーみたいな流れだったり、部長やまとめ役が存在して独自秩序が形成されたりしてるよね。でさ、集団客観ってその周りの関係のない客や冷ややかな目で見る個が、超秩序空間(インターネット)を通じてマナーや行儀、秩序を勝手に定め、その集団にラベルを貼る瞬間だと思う。

 どちらにせよ、ローカルなノリで発動する正義が生んだ集団主観も、それを晒し上げて裁く集団客観も、倫理の応答からは引き剥がされて、デミウルゴスに回収される。

 両義性の空間なんかを持ち出せば、あまりの低速であるために、この圧倒的超秩序空間から淘汰されるじゃないかな?