精神科初診記念日 | y.ishizawa@KONMAI-573の徒然日記新館

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また、音ゲー・QMAヲタのKONMAI-573として、
徒然と、三日坊主で書き綴っていきます。

精神科という所には、当時は嫌悪感があった。というのは、生まれ育ちの館林のつつじメンタルホスピタル(旧青柳病院)の閉鎖病棟のイメージで、館林の城町の祖父宅(現在は更地)の家主が死亡するまで閉じ込められていた印象があり(全開放の三枚橋なら治ったかもしれない)、一週間前に電気工事で高所作業で落ちたら死ぬと言うパワハラで発病したのがきっかけで母と祖母がかかった三枚橋に祖父に連れて行ってもらった。

その日は水曜日で石川信義大先生(当時理事長、現在は引退してデイケア嘱託医)という名医と檀原暢氏(当時院長及び病棟責任者、現在は理事長)という藪医者と春日功先生という発達性精神障碍の権威の名医が診察当番で、最初は石川先生(祖母と母がかかっていた)希望だったが、春日先生に当たったのは不幸中の幸いであった。というのは、檀原氏というのが石川先生と医療方針が正反対で新潟大学を出て秋田赤十字精神科の勤務医で、石川先生が引き抜きした経緯だが、医療方針を巡って対立していた。
春日先生は、厩橋病院を群大病院からの派遣医に乗っ取られ、そこを石川先生が引き抜き(その他に西先生や退職した人見先生や佐藤先生などもいる)、厩橋時代は院長候補で、またこころの健康センターの嘱託医でもあった。

要は石川先生を希望していたが、檀原氏にならず、春日先生で良かったという事であった。

偶然初診記念日に予約外来だったので書いてしまったが、初診当時は石川信義先生の医療方針で自由奔放だったが、現在は檀原暢氏の医療方針により束縛が激しくなり、自分は春日先生が引退もしくは退職したら、三枚橋に名医が残らなくなりそうなので、あおばクリニックに紹介状を書いてもらおうと思っている。
患者仲間の友人が檀原氏に愛想を尽かされて、時計台メンタルクリニックに転院を余儀無くされた事のわだかまりも少なからずある。
丁度11周年の今日だからカミングアウトを決める事を決意した。