「すべては天から与えられた試練」長原和宣(長原配送社長) | 芸術家く〜まん843

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薬物中毒。
その蟻地獄から無事に社会復帰できる人は10人に1人といわれています。
薬物を簡単に入手できてしまう現代では、ひょんなことから薬物に手を染め、被害に遭うことも少なくありません。
かつてその闇に引きずり込まれ、生死の境を彷徨い歩いた長原和宣氏。
そんな人生のどん底から這い上がり、再起を誓って運送業を創業。
ゼロからのスタートにも拘らず、現在、年商1億円の会社へと発展を遂げました。
長原氏が語った
「逆境の乗り越え方」とは——。


——そこからどのように立ち直られたのですか。


面倒をかけた刑事さんに、「薬はもう絶対にやめます」と約束しましたが、その決意だけでは、覚醒剤のあの凄まじい誘惑をかわし切れないおそれがありました。


本当に断ち切るためには環境を変えるしかないと思いまして、静岡での生活を捨て、一家で故郷の帯広へ移り住みました。


背水の陣で更生に臨むことにしたのです。


(中略)


とはいえ、現実はとても厳しいものでした。


職を得るために30社以上回りましたが、どこにも採用してもらえませんでした。


仕事ならもうなんでもやらせてもらうしかない、という状況で始めたのが、各家庭にチラシを投げ込むポスティングでした。


1軒たったの2円でしたが、これが本当にありがたくて、一所懸命やりました。


さらに1軒130円の新聞の集金や英会話学校のポスター貼りなどにも手を広げていく中で、宅配便の事業に携わりたいという思いを抱くようになったんです。


——以前のキャリアを生かそうと。


ええ。それに、覚醒剤を打つと、過去の罪悪感などからどうしても人と目を合わせることができなくなるんです。


その点、宅配業であれば軽自動車一台あれば個人事業主として気楽に仕事ができます。


また、薬をやめて5年くらいはまだ不安が残っていて、負けないぞ、負けないぞ、と意識していたものですから、そうして朝から晩まで働かざるを得ない状況に身を置きたかったんです。


その夢が2年後に叶いましてね。
帯広郵便局さんから、ゆうパックの配達をやってみないか、と声を掛けていただいたんです。


私はそれまでのアルバイトをすべて辞め、父の名義で車を買って宅配業一本に懸けることにしました。


同時に仕事を確実にキープするために、配達の合間に需要のありそうな会社を回り、ゆうパック以外にも窓口を広げていきました。


とにかく一所懸命、無我夢中でした。


そうして仕事が増えるにつれて人を増やし、車を増やし、規模も大きくなったので、社労士さんからのアドバイスで法人化しました。


おかげさまで創業から13年経った現在は
22人の社員を抱え、年商約1億円を計上するに至りました。


——見事に再起を果たされましたね。


数奇な運命を辿ってきましたが、これも前世でやり残したことを清算するために天から与えられた試練だったのだ。


不本意に感じられる運命も、今生の自分の生き方次第で軽減できるし、自分の至らない部分を克服することで、新たな自分の城を築いていけるのだ、といまでは思っています。


20代で薬物中毒を克服した私は、30代は正直に生きることを努めてきました。


お恥ずかしい話ですが、そこで初めて、正直ってなんて清々しいものなんだろうと実感し、生かされていることに感謝して一所懸命生きることの大切さに気づかされました。


そして40代からは学びの人生を歩ませていただいています。


不思議なご縁で、40歳の誕生日に京セラ名誉会長の稲盛和夫さんが主催される経営者の勉強会・盛和塾にお誘いいただく機会に恵まれました。


いま入塾6年目なんですが、人を思うこと、人を好きになることの大切さに気づかされて、事業にもまた新しい道が開けてきたように思います。


『致知』2014年3月号より