「イブラヒムが教えてくれたこと」 

 

【イブラヒムとの出逢い】 

2016年、リオデジャネイロパラリンピックに難民選手団の旗手として、水泳競技に出場したイブラヒム。 

 

彼とはIPC(国際パラリンピック委員会)主催の彼の講演イベントに参加した時に知り合いました。

 知人が誘ってくれたので、始まる前は 「日本人もたくさんいるんだろうなぁ」と思っていたんですが日本人参加者は僕を誘ってくれた知人と僕だけでした。 

 

2011年、東日本大震災の年に始まったシリアの内戦で友達が負傷して、それを助けにいった時、彼も右足を失うことになりました。

彼の周りを思う優しさ、どんな時も前向きに「希望」を忘れない姿勢を僕が代表をするHappy First Schoolのメンバーに伝えたくて、そして、日本にも「彼のことを大切に思う仲間がいる」ことをイブラヒムにも伝えたくて、彼の講演会をやってもらいました。

それから彼とは友人関係になり、今は、彼の活動を少しでもサポートできないかと活動しています。

 

【イブラヒムと車椅子バスケ】 

彼は今、水泳も続けながら、車椅子バスケットボールチームの活動もしています。 

ギリシャ:車椅子バスケットボールで夢を追う難民パラリンピック選手イブラヒム

 

 

Happy First Schoolのメンバーと 「イブラヒムに車椅子バスケ用の車椅子を届けよう」と活動がスタートしました。 

最初は何をしていいかもわからず、なかなか、活動が進みませんでした。 

 

さいとう工房の斉藤さんとの出逢い】 

2015年、僕がアメリカでコーチをしていた時、ニューヨークで知り合ったスピードラーニング(英会話教材)の大谷社長が先日お会いした時、 「この後、紹介したい人がいる」と言われたのが、さいとう工房の斉藤さんでした。 斉藤さんは、パキスタンやネパールなど多くの国の障害者の方が自立できるための支援をずっとされてきた方でした。 お会いした日に、イブラヒムの話をしたら、 「このスポーツ用の車椅子でよければ、イブラヒムに届けてあげてください」と 20万円はするスポーツ車椅子を2台、新品を無償提供してくださいました。 

 

 

【どんどん広がる仲間】 

そこから、オンラインメンバーの方々が積極的に活動してくださって、なんどかミーティングを重ね、 車椅子バスケの現場や車椅子バスケの市場の話などを聞きました。 最初は、中古の車椅子を届けたいと考えていましたが、車椅子バスケは今、多くの健常者もプレーしており、中古の車椅子バスケ用の車椅子が不足している状況でした。 

 

 

【僕たちが想像する以上の逆境】 

いろいろな支援の可能性を探りながら、実際にイブラヒムに今の現状を聞こうとオンラインでつなぎました。

説明がありません

 

彼からの話は僕たちの想像していた以上に難しい状況でした。

 イブラヒムは内戦が始まって早い段階でギリシャに移りました。 

 

ギリシャに移って最初は誰も助けてくれない状況で、草を食べていたと彼は話してくれました。 

それでもまだ彼は、彼を支えてくれる人との出逢いなどで、今があると教えてくれました。

 

 「僕たち難民であり障害者は二重苦なんです。ただでさえ、難民として何も補償も支援もない中で、その国の国民からも軽蔑されることも多い。そのうえ、内戦で障害を負って、車椅子も何もない人たちも多くいる。」 

 

「車椅子バスケを始めたかったのは、そんなバラバラになった仲間とつながりたかった。そして、僕たちの活動によって、難民のこと、障害者のことを世界中の人に少しでも理解してほしい。そして、それ以上に、下を向いていきている難民の人たちに」

 

「僕たちはそれでも生きる価値があるんだ。僕たちにも夢、目標、得意なことはある」、「難民たちでも出来るんだ」を伝えたいと教えてくれました。

 

 どんなサポートが必要か考えていた僕たちにイブラヒムは 

 

「何一つない状況です。どんな支援でも難民を助けることができます。こうやって、みなさんが僕たちのことを考えてくれているだけで、多くの難民たちの励みになります。だから、どうか、支援を義務として考えず、みなさんが無理のないようにやってほしい」と。

 

僕は車椅子や活動資金など、「支援=物」と思っていました。

 

でも、イブラヒムは 

 

「僕たちの活動を発信したい」 

「難民で、障害で苦しむ人たちが上を向いて、希望を感じられる社会を作りたい」と。 

 

最後に、さいとう工房の斉藤さんが 「この2台の車椅子をもらってください」とビデオで説明したら

説明がありません

 

子どものような笑顔で喜び、 次の瞬間、 

 

「ドイツにいる難民の仲間に送ってください。彼らは、壊れてボロボロの車椅子を今も使っています」と泣き出しました。 

 

もらった車椅子を遠く離れている仲間に届けたいとすぐに思い、彼らが助けられることを思い、涙する彼の姿にこの問題の大きさを僕たちは知ることになり、一緒にみんな泣いていました。

 

説明がありません

 

2021年夏、彼がパラリンピック代表水泳選手として、日本に来れることを祈りながら、そして、彼が日本に来れたら、多くの仲間で彼を迎えてあげたいなって今から思っています。 

 

遠く離れた場所に、「彼らを思っている仲間がいる」ことを伝え続けたいと思います。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。