私とあがり症について過去を振り返ってみました。ちょっぴり恥ずかしいですが、隠す事なくお話したいと思います。

私は小中高校生の頃までは、偏差値の低めの学校でしたので、その中ではそこそこ勉強も出来て運動もまずまず。「中の上」の成績で、たまに学級委員までやる様な真面目タイプでした真顔
貧しい家に育ちましたので色々と我慢は強いられましたが、学校ではさほど大きな苦労もしなかったし、周りからバカにされる様な事も無く、まあ普通に過ごしてきましたニコ

ただ、周りが自分をどう見てるかは、子供の頃からすごく気にしていました。心の安心安全を得るために、常に「中の上」普通より少し上の層にいることが重要でした。
親がアル中気味でハチャメチャな所があったからか、自分はしっかりしなくてはならない、バカであってはならないと子供ながらにずっと頭の中にありました。

失敗して低い評価を得る可能性のある事は、よく避けてました。恥をかきそうなことは何かしらの理由をつけて、挑戦しない。
危険なことや、恥をかきそうなことに対する危機察知能力だけは子供の頃から優れていました。

自分がやりたい事をやるのでなく、周りが望んでいると思われる事をやる。自分の意思や主体性は希薄でした。
そんな事で、私のイメージは、しっかりした堅くて真面目で優しい少年だったかもしれません。


ところが二流大学を卒業し、運良く立派な会社に入れたのですが、周囲は私より遥かに優秀な人ばかりびっくり。私は生まれて初めて大きな劣等感を感じました😰
能力もさることながら、自分の様な貧乏家に育った人もおらず、家柄からして全然ちがうがなと。私の出身大学もその会社の中では底辺でしたガーン

20代の頃は能力の差を気力体力で埋め合わせていましたプンプン💪。
仕事も結構頑張って、学生時代同様に「中の上」の評価を得ていました。
同僚が遊んでる間も働いて結果を出し、社長表彰を受けた事もありました。

あがり症の症状はありましたが、なるべく人前を避ける等して何とか隠し通してました。
当時、営業部に所属していた私としては、人と接するのが苦手とか、あがり症なんて、あってはならない事で、他人に絶対バレてはならないトップシークレットでした㊙️

ところが30歳を超える頃から気力体力だけでは、どうにもならない差が所々に現れてくるようになりました😨
対人恐怖やあがり症の症状も、ちょくちょく表出し周囲にバレ始めてきました。
何かおかしい、皆に劣ってるのではないか、大した事ない奴と思われたくない、と思う事も増えてきました滝汗

その頃、大きな会議の終わりに締めのコメントを求められたのですが、不安と劣等感だらけの私に優秀な人たちの視線が突き刺さり、「何か立派な自分を見せなくては」との思いとは逆に、焦りで頭の中は真っ白、声は震えるし、話の内容はしどろもどろ。最悪の挨拶に場は失笑😫。そんな事件がありました。

その頃からあがり症が酷くなりましたが、特に偉い人の前のプレゼンなどは、たいていボロボロでした。滝汗チーン
ひどい時には、そこにリアルな相手がいないTV会議でもボロボロになる始末えーん
自信はガタ落ち。
大勢の人前だけでなく、1対1でも顔が引きつる様になるし、挙動不信気味になるし。。。ニヤニヤ

しかし、「子供の頃から作り上げてきた立派な自分」がみっともない現実の自分」を認める事は出来ませんでした。
こんなはずではない。そんな自分は見たくない、考えたくない。

グローバル化が急激に進むにつれ、社内で全く英語の出来ない私は更に自信を無くしました。同僚と比べては落ち込み、出来ない奴数人で傷の舐め合い。時間がないとの理由をつけ、本気で英語を勉強する事もないので、同僚とは差がつくばかりショボーン
そうなって来ると、周りで起こる悪い事も自分のせいでは、と思うようにもなりました。
それでも誰にも相談する事も出来ず、一人で抱え込んでました。


私は常に取り繕うしかなかった。何とか自分を良く見せたい。恥をかきたくない。わかってるフリ。かしこいフリ。明るいフリ。
自分が傷つく可能性がある事からは立派な理由を見つけて避ける。あーでもない、こーでもない、万が一こうなったらどうしようと、うだうだ悩んでばかりで行動もせず。
そうなってからは成長もありません。


鎧を被ったハリボテの自分だったのかもしれない笑い泣き
常に周りを気にして生きてきた。
周りに気遣って生きてきたつもりだったが、本当は自分を傷つく事から守る為だったのか?
自分を犠牲にして周りを優先してきたように思っていたが、本当にそうか?
自分は単なる自己防衛の固まりだったのか。。
それで嫌なこと、怖いことからは逃げまわってきた、出来るだけ目立たない様に。逃げる理由もあれこれ考えて。その結果があがり症という形で現れた。若い頃、避けてきた課題が何倍にもなって返ってきた。


なるほど、そういうことかと気づいたのは本当に最近です。
心理学を学んだり、産業カウンセラーの養成講座に通い、苦労して資格を取得したり、森田療法のセミナーに参加したり。
何冊も本を読んだり、静かな部屋で自分の事をゆっくり客観的に考えてみたり。

ようやく本当の自分と向き合える様になってきました。心の底にフタをして閉じ込めておいたものも、何となく認める事が出来る様になってきました。


苦手ならば練習するしかない、やらないから苦手なのだとも思える様にもなり、ドキドキしながらも、あちこちの話し方教室や自助会、セミナーにも通いました。
もちろん練習になりましたし、私以外にもあがり症の人がこんなにいたのだという安心感を得る事も出来ました。会社の中では私だけでしたから。

多少なりともあがり症はピークよりはマシになりましたが、相変わらずの「緊張しい」で、会議では、いつもドキドキ、ブルブルです滝汗
しどろもどろになる事も多々ありますが、昔ほど自己嫌悪の塊になる事もなく、まあ、ええか。と思える事も増えました。


ええ歳して自分を必要以上に守るのは、もう止めようと思っています。これからは鎧も捨てて、あまり飾らず生きて行こうと。逃げてきた事は出来るだけ逃げずに、まあ、やってみようと。

そして、私があがり症の苦しみのドン底から多少なりとも抜け出す事が出来た経験を、今もあがり症や不安症でひどく苦しむ方々に何らかの形で生かす事ができればいいなあと。

そんな事を今は考えています。

いしがめ けん🐢

(山口県  角島大橋)