【書評】「お釈迦様の脳科学」苫米地英人著 | 石田久二公式ブログ

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タイトルには「脳科学」とあるが、実際は苫米地流仏教概説。所々、と言うか全体において眉に唾をつけながら読むべき言説はあるが、あくまで「苫米地英人」というフィルターを通した仏教論として読むと、非常に面白い。ようは、鵜呑みにせずに読むといい。


最近はオウム真理教などカルト批判から広がり、電通やテレビなどメディアによる洗脳批判を繰り返しているが、著者の興味深い点、ある意味危険な点は、いわゆる「洗脳されたくない層」を一気に洗脳することに成功していること。著者の書く「陰謀論」などを読むと、いわゆる苫米地信者は「自分は真実(裏の事実)に目覚めている」などと錯覚し、苫米地氏を疑えなくなってしまう。私の知人にもそのような人がいた。


なので、本書に書かれてあることが「事実」だと真に受けてもらっても困る。実のところ、著者は自身の「洗脳言論」でも告白している通り、1996年にオウム信者の脱洗脳に関わるまでは仏教知識はほぼゼロだった(46頁)。とりあえず付け焼き刃に手塚治虫の「ブッダ」を読んだ程度で脱洗脳の挑んだのである。しかし、それを機に仏教全般に対する造形を深め、専門書ならずとも、仏教に関する一般書を次々と発行し、さらに「阿闍梨」の称号を得るに至るのだから、その学習能力は驚嘆に値する。ただ、言ってみれば「その程度」であるので、本書に関してもかなり距離を置きながら読むのがいいだろう。


例えば「般若心経」は偽経であることは「定説化しつつある」と書かれているが、断言するには余りに資料不足である上に、本質的な議論ではない。そもそも、お釈迦様が書いた「経」は一文字もない限り、仏教の経はすべて偽経であろうし。また、「色即是空空即是色」の解釈は完全に苫米地氏独自の解釈に過ぎない。「色即是空(色=空)」は正しいとしても、「空即是色(空=色)」は不十分であると言うが、それも単に解釈の仕方の問題であって、「般若心経」をすべて否定する材料とはならない。


さらに明らかに間違っている点もある。経中では「観世音菩薩」が「舍利子」に「空」について教える形となっているが、「菩薩」は本来悟る以前の者であるのに対し、「舍利子」は釈迦の一番弟子であり、すでに悟った者である。ゆえに、悟る以前の者が悟った者に対して「教える」ことはあり得ないと言う。しかし、「般若心経(及び般若経)」における「観世音菩薩」とは正確には「菩薩摩訶薩」のことであり、直訳すれば「偉大なる菩薩」となる。つまり、ここでの「観世音菩薩」は本来であれば悟りを啓いた者であるが、衆生の隅々までを救済するために、わざわざ「菩薩」として降りてきた者である。従って「格」の話で言えば、「観世音菩薩」が「舍利子」に教えたところで、何も間違ってはいない。


それから、これは蛇足と言うべきか、「般若心経」の最後の呪文「ぎゃーてい、ぎゃーてい・・」は元々5500年前のシュメール語であったと言う。このことに対する批判は誰もできないであろうが、いい意味で、著者のぶっ飛んだ発想力に驚きを隠せない。ただし、世間で「般若心経はシュメール語」などと言うと「ムーの読み過ぎ」と判断されようから、あくまで苫米地学説として感心するに留めた方が良いであろう。


ただ、以上のような細かい点はいろいろあるのだが、全体としては非常に面白く読めた。きちんとした仏教学者の説と平行して読むと、さらに本書が面白くなる。著者の仏教に対するスタンスはあくまで「お釈迦様原理主義」である。お釈迦様の死後5~600年で大乗仏教が確立され、それにより仏教の教義側面が一応の完成を見たとされる。しかし、そこから地域や時代を経て、チベット、中国、そして日本にまで、様々な仏教宗派が誕生した。そのプロセスでバラモン的な呪術信仰を取り入れたのが「密教」であり、さらに中国の儒教・道教をミックスして伝わったのが、日本における各仏教宗派である。


それらは確かに人々の文化に根ざした手に取りやすい教義として受け入れられたのであろうが、お釈迦様本来の教えからかなり逸脱してしまった。お釈迦様の教えとは「この世はすべて空である」ということ。まさに「色即是空」の世界であり、言い換えるとこの世はすべて「幻想」である。


しかし、密教にせよ日本の宗派にせよ、例えば霊や生まれ変わりの存在を前提としていたり、中にはお釈迦様が一番に否定した「アートマン(いわゆる一この魂)」が当たり前のように登場したりする。日本は一応のところ代表的な仏教国と言われるが、そのほとんどが「葬式仏教」となっており、最近までお釈迦様の教えがほとんど伝えられてこなかった。言い換えると、仏教は単なる非課税ビジネスであり、僧侶も「空」を説かずに、「霊」や「あの世」を説くことで檀家から金銭を巻き上げている。


余談であるが、私の近所には「篠栗四国88カ所」なる霊場があり、年輩の集団がよくお遍路で歩いている姿をみる。その一カ所のお寺と雑談がてら聞いてみたところ、お賽銭だけでも年間1000万円は下らないとのこと。しかもそのお寺は山の上の不便な位置にある。もちろんお賽銭以外にも稼ぐ手段はあろし、その稼ぎはすべて非課税。そのお寺にはベンツが2台ばかりある。1200年経った今でも空海の褌だけで経営が十分に成り立っている。お釈迦様が見たらなんと言うだろうか。


結局のところ、日本の仏教はその根幹である「空」の思想を蔑ろにし、それどころか都合の良い「幻想」を人々に広げる、つまり「洗脳」することで生き残ってきたのである。本来、「悟り」に一番近いはずの仏教が、皮肉なことに、最も遠い場所へと流れてしまったのが現状である。だから、日本の僧侶は「くそ坊主」として揶揄されるのである。


その意味で、本書は日本の仏教の現状を認識し、本来の仏教、宗教、そしてスピリチュアルのあり方を考える上でも一読に値する。

お釈迦さまの脳科学 釈迦の教えを先端脳科学者はどう解くか? (小学館101新書)/苫米地 英人

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