■A=Dの公式 | 石田久二公式ブログ

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こんばんは、石田久二です。


私のブログを読んでいる人は、おそらく私のことを「理屈っぽい」と思うんじゃないかと思います。「宇宙となかよし」のブログは「スピリチュアル」のカテゴリーにありながら、その理屈っぽさは確かにランキング上位ブログの中では目立つ方だと思われます。


それはおそらく家庭環境も関係してるとは思います。父親は数学教師、兄は物理学博士、弟は工学修士、そして母は若い頃は銀行員。家族の男たちは3人とも理系であるのに対し、私だけ文系のコースに進んでいましたが、大学受験は社会の替わりに数学を選択するなど、やっぱり理系的な素養はあったのかなと思います。


ただ、そう言いながらも、実のところ、私ほど「理屈っぽくない人間」も珍しいと自分で思っています。と言うのも、私の人生を振り返ってみると、何一つとして「計算通り」のことがないから。つまり「A=B」であり「B=C」であるとすれば、計算的には「A=C」が導き出せるはずですが、私の人生はなぜか「A=D」となり、「Dはどっからきたねん!」ってことばかりでした。


例えば「会社を辞める」と「収入がなくなる」ってのが「A=B」です。「収入がなくなる」と「生活できない」ってのが「B=C」です。と言うことは、「会社を辞める」と「生活できなくなる」はずなのです。計算上はこうなっていたはず。


だけど、私自身の今までの人生は「計算通りにはいかない」でしたので、楽天的に考えて「D」のファクターを勝手に用意するのでした。それが「なんとかなる」って答え。


つまり「A=B」「A=C」ゆえに「A=C」ではなく、「A=B」「A=C」だけど「A=D」なんてことを想定しながら生きているわけで、つまりは全然理屈っぽくないってことになります。こんな考え方自体が理屈っぽいと言われるかもしれませんが、私は常にこの「D」の存在を身近に生きているので、最終的には「なんとかなる」と思ってるし、実際そうやって生きてきました。


結局、「怖れ」ってのは計算や理屈から生まれるもの。だけど、その計算や理屈をちょっと超えてみると、「D」つまり「なんとかなる」ってのが見えるくるわけです。でも、これが「人生」って奴じゃないかと思うのです。


つまり人生ってのは、そもそも計算や理屈で動くものじゃない。それを超えたところに、リアルな人生があるんじゃないか。そんな理にかなわない生き方こそが、私の人生哲学の根底にあるのです。




<○×計画28>3/7(×早起き、お菓子、執筆、愛と感謝)
<愛>??
<感謝>??