■オレが予言ブログを看過できないもう一つの理由 | 石田久二公式ブログ

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こんばんは、石田久二です。


昨日、「もう終わりにする」と書きましたが、やはりもうしばらく書く必要があると思いましたので、続けたいと思います。後ほど、とても大切な話をさせて頂く予定ですが、その前に、自分自身の「懺悔」の意味も込めて、一つ告白することがあります。


何度も言うように、私は「地震予言」なるものを心から憎んでいます。戦争やいじめ、虐待、レイプと同じくらいに憎んでいます。その理由はここでは繰り返しませんが、実は私自身、一つの大きな懺悔をする必要があり、その意味でも、私はこの手の情報拡散に対して本気で挑みたい気持ちなのです。


さかのぼること2005年春。その時期、北部九州では珍しく大きな地震がありました。「福岡西方沖地震」という地震で、震度5度強の地震が月を隔てて二回起りました。その地震での物的被害は「玄海島」を始めとしてあるにはありましたが、人的被害は規模の割には少なかったと言われています。確か死者は一名だったと記憶しています。


その当時、福岡でも防災ムードが高まり、市民の気持ちは地震と無関係ではいられませんでした。3月に大きな地震が起り、その翌月4月のある日のこと。私の知人が「オフレコ」であることを条件に、一つの情報を提供してきました。


それは「3月20日の前後1日に大きな地震が来る」というものでした。その知人は九州大学大学院土木研究科の研究者と友人でした。その研究者のテーマが「地震予知」でした。詳しい話はできませんが、ある条件の元で、いつ、どの程度の規模の地震が起るかを調査研究してきました。


そして「一定の精度」で地震が予知できることをデータづけました。しかし、外れることも多く、まだまだ公表できるほどの精度でなかったと言います。そのような「蓋然性はあるものの不確かな情報」を一定の権威ある研究機関が公表すると、市民を混乱させてしまいます。


実のところ「地震予知」については研究者にとっての最後のフロンティアと言われており、全国各地の大学・研究機関で地道な研究が続けられています。


話を戻しますが、その情報を聞いた私は、もちろん誰にも言うつもりはなかったのですが、3月19日の夜中、どうにも胸騒ぎがしたので、静かに様子を伺ってみました。すると3月なのに風が生暖かく、夜中なのに鳥が鳴いている。普通でない空気を感じたので、ブログに次のように書くことにしました。


オフレコと言われてたんですが、ひょっとしたら事態は深刻かもしれないので、参考までに書きます。4月20日前後1日の3日間の間に、福岡で震度4クラスの地震が来るそうです。私の周りにはいわゆるスピリチュアル系と土木系の人が結構いるのですが、双方から「蓋然性が高い」と出ているようです。とりあえず本日はなかったので、コア日の明日(これを読んでいる人は今日か)か、明後日に来る蓋然性が高いということです。なので細心の注意を払って生活してください。火を使う時は気をつけて。留守にする時は火の元栓を閉め、戸棚をきちんと閉めて行きましょう。用心にこしたことはありません。



その時の記事がこちらです。その翌朝、一回目を上回る震度5強の地震がやってきました。それを受けて書いた記事がこちらです。


その直後、「地震予知」をテーマとしている船井幸雄系のサイトの掲示板で取り上げられます。このブログは地震を予知した、と。当然、アクセスは急増し、にわかに注目を集めてしまったのです。当時、かなりスピリチュアルに傾倒していたこともあり、「地震を当てた」ことがどこか快感となっていました。


そしていろんな人から、「次の地震はいつですか?」と問われることが増えます。土木系の情報はありませんでしたが、「俄か予言者」気取りで、直感に任せて「予知」してしまいました。そしてその「予知」は外れました。


外れた時、、、私はなぜか「残念」と思っていたのです。そして当たることを無意識的にも願っていたことにも気が付きます。その時、初めて冷静になることができました。


「オレ、いったい何やってたんだろう・・・」


本来、決して望んではいけないはずの「地震」が来ることを、どこか願っていた自分がいたのです。地震が来る来ないよりも、私の「予知(予言)」が当たるかどうかに意識が完全に向かっていました。


その時、遅まきながら深く反省し、金輪際、地震を予知するような真似ごとはやめようと誓いました。だからこそ、、、その後も、ブラジルの偽予言者を始めとした、各種の「予知・予言」に対しては、ことの他、批判するようになったのです。


実際、「石田さんは、どうしてそこまで地震予言を嫌うのですか?」と聞かれたこともあります。ましてや今回は、実名や電話番号までさらして飛び込んでいく。これはまさに自分自身に対する「落し前」でもあったのです。


地震は「予言・予知」した瞬間、エネルギーはそれが実現するように働きます。ちなみに一つ問題を出してみたいと思います。


「ピンクのゾウを想像しないでください」


どうでしょう。ピンクのゾウを想像しないで済みました。そうはできなかったでしょう。これは意識の性質からして「否定形」を理解することはできず、否定しようがしまいが、その対象を思い浮かべた時、そこに強いイメージ化がなされるのです。


むしろ「想像してください」よりも「想像しないでください」の方が強いイメージが浮かぶのではないでしょか。地震予言も同じこと。


「いついつに地震が来ます。来ないように祈りましょう」


と呼びかけた瞬間、それを読んだ人に広がるイメージは「地震そのもの」なのではないでしょうか。「予言」によって地震が回避された、、、それは真っ赤なウソです。まったく関係ありません。もしも「引き寄せの法則」や「ホオポノポノ」を信じているのであれば、地震予言が「地震を防ぐ」ことに対して、まったく逆の効果をもたらしていることは理解できるはずです。


つまり「地震予言」は、それ自体が人々の意識に「地震の引き寄せ」をもたらす元凶となるのです。


昨日、件のブログを通して、私は「キチガイ」と言われながらも訴えてきました。願わくばコメント欄は解放したままでいて欲しかった。誤解を恐れず言います。地震を予言している人、及びそれに賛同している人は、意識的・無意識的に地震が起ることを望んではいないでしょうか?


それはかつての私自身の経験からも言えることです。恥ずかしい話ですが。だからこそ今、私は「地震予言」を正面から批判します。そのことでも、私自身が地震が起らないことを本気で願えるから。それが、私が「地震予言」を本気で憎む一つでもあるのです。