人口減少で市町村が様変わりしているという、限界集落という言葉が生まれた四国山地の高知県大豊町の現況を新聞報道で読んだ。
大豊町には集落が85あるが1989(平成元年)に限界集落と言われたが現在も消滅することなく健在だが殆んどの人が80歳を超えている、11集落では10
戸以下になって居るようだ、遠からず内に生活者は居なくなるかのように思うが、その地へ田舎暮らしの好む若者も最近入居するという。
その集落で一人の85歳の女性が3年前に「柚子」の苗を100本植えたという、柚子の木が大きくなり誰かが取って呉れる事を望み集落が継続される事を託しての事との事。
それで思い出した事がある、私の生地も66戸の集落だが道は県道で隣の町への通過集落で上地と下地を合わせると150戸になるから集落とは言わないかも知れないが、上地と下地は別箇になって居る、分校もあったが私が5年生の時に本校に統合された、現在は中学校も町村合併で1中学になって居る様だ、我が家からは2里(8Km)有るから遠いが私は合併以前に卒業で通うことは無かった。
母が健在の折にもう畑を耕すことは出来ないからと、柚子の木を植えた、当地は柚子の北限の地で我が家には2本の柚子の木が有り、柚子の実が黄色くなると親戚や知人に届けるのは私の役として父が亡く成るまで続けた。
また柚子の実を町の有名な菓子舗が買いに来るので、それも母の楽しみだったようだ、そんな事からだろうが母が柚子の木を植え育てて居たが、植えて間もなく私は東京に就職して生地を離れた。
母は柚子の実のなる事を見ずにしてして亡く成った。
それから数十年過ぎた現在は甥の時代になり、柚子は1年置きに大量に実を付けると聞いて居るがその実をどのようにしているかは知らないが6年前に野菜とと一緒に柚子を10数個送って来た、その柚子から種を鉢に埋めて置いたら4本程芽をだしたので1本に仕立てて育てて居る。
柚子は実を付けるまでには15年以上は掛かる「桃栗3年柿8年柚子の馬鹿者20年」と言われているから当分は無理だろう。
※このブログはこれでお終いと致します。
我が偏屈なブログを読んで頂いて居た方有り難うございました。
思う所がありアメブロを終わりと致しました。
また別の所でお会いする機会があるかも知れません。