習慣は個人がそれなりに慣れたり勤しんだりして長く続けており多少愛着もあり続けている事と思うが慣習は一人個人的なものではなく廻の皆が同調して行われているものでその地域やグループにて継続して行われているものだ、それらは地域行事と「おもてなし」で有ったり「挨拶」など生活に密着した礼儀作法や箸の持ち方などが数々ある、それ等が多数を合わせて「道徳」と呼ばれているのだが、その慣習は個人的には何の制約もないから実行しなくても何ら個人的に相手に迷惑を掛けるものではないが相手が慣習を重んじる人で有れば「不愉快感」を感じさせるだろうが、それは個人的なことである。 その昔はその「不快感」を相手に注意出来たが現在は「その事」を言われない時代というのか何か関係する人間として希薄な時代になってしまっているのはどうしてだろう。

人間個人の尊重との事でその人個人が行う事に対して他から何らの妨害をしてはならないという事だ、だから個人が知ろうとしない限り何も知らないままに時をすごしてしまいばその人は他に不快な思いをさせている事になる、その様な人が世に多くなってきているような気がする、この前に学校栄養士の人の話を聞いたときに、学校では「箸の持ち方」は指導しないのかと質問したら、それは言わないという、食事作法は学校でも指導してほしいと感じた。

食事作法は家庭にての指導である事は解るが「核家族」では忘れられている事柄なのだろうか。

これからその者達には慣習や道徳感とそれにともなう絆は必要ないのかなー。