嫌いという事はなぜおきるのだろう、人に対して、物事に対して、食べ物に対して、音楽に対して、など日々の生活の中で思うと大変に多い、相撲行司の37第木村庄之助さんは言っていた。
16歳で親の言う通り、有無を言われず井筒部屋に行司見習いとして入門させられた時は全く嫌いだったが辞める事がたがわず我慢したが10年目に辞めよう思ったことが有ったが我慢して20年目ころには好きになっていたと、それから一念発起相撲文字を練習して、現在は行司最高位と番付表を書いていると言っていた。 私は自分に照らし合わせて見ると「辛抱と努力」が不足しているから嫌いな事がおおいのだと。 その物事の第一人者になるのには持って生まれた才能を知らずして嫌いと言っていたが磨けば光る地が有れば好きになるのだろうがその地が分からず仕舞いの者もいるだろうが、我慢は「三日三月三年」と言われるが、それを過ぎても嫌いで有ればそれは、その事に対する地が適していない事になるのだろう。
その反対に好きなる事はすぐに見つかる、これは個人が持ってる第六感みたいなモノだと思うが、それはすぐに飽きてしまう、飽きてしまうのは「エゴエスト」だからだ、好きな事でも「辛抱と努力」をすれば好きになると私は信じる。
昔は許されなかった「離婚」などは最も象徴している、すぐに結婚はするが離婚は30%だという
生まれて20数年異なる環境で育ったものが外見だけで好きになり結婚したのだから互いに合わない事が多いのは当たりまえだ、そこで互いに「辛抱と努力」があれば互いに理解して好きになることは、我らの遠い先輩達が教えてくれた事だ。