幸せで有るか、不幸であるか、誰もが幸せの方が良いに決まっているのだが、生まれた時から持ってしまった不治の病の人を見聞きした時や交通事故で寝たきりなった人など数えれば数限り無い程私から見れば不幸な人だと思う人達は多いが、私の現在は幸せと思う方が良いと決めている。

望み、欲望、不満、を言いば、これも沢山あるが、今は身体に不自由はない、雨風寒さは凌げる所に住んでいる、生きて行くのに問題は無い食事も出来る、借りているお金は無い、之と云った他人に迷惑は掛けてはいないと思うので社会的には空気みたいな物である、(空気は必ず必要だが自分は必ず社会で必要と云う事ではなく誰もが気にしないと云う事)だから幸せと思うのだ。

そうであれば幸せに思う事をすれば良い、「橘 曙覧」流に「至誠」、「分相応」、にて「楽しみの思想」で過ごせば良いと思うが「屁理屈や偏見」は時折言って楽しもうとも思う、これは人間関係で言って於いた方が良いと思うからだ、それは「勝手な独断偏見」もあるが、これは俺流だ、これも楽しみの一つだ。