我々人間社会は人それぞれに関係を持ち縦横繫がって生活が成り立っているのではないかと思います。
それがいつの間にかあちこち寸断され関係がぎくしゃくしてしまい修復困難な社会になり我が子供や親兄弟から
関係も無い(その関わりで関係が出来た)関係者を困難にしてしまう社会になっている事を憂います。
日本人社会はその昔は自分の関係する範囲は(見えたり聞いたり接したり)はお互いに干渉して関わった社会
と自分は思っております。
自分の家庭の家族は皆勿論のこと一歩外に出ても合う人には挨拶、他人に不合理が有る様なことに出会いば
注意して困っているような人には「どうかしましたか」と声をかけ自分は人の世話にはならないように気をつけたが
現在は自分以外には関わりを持たない自分は自分という事か自分に関係しようとする人があれば拒絶する社会になっているのではないか、これは学校教育で「個性の尊重」を強く教えた事によるのではないでしようか。
個性の尊重を履き違えて「自分勝手」と云うように読み替えて理解しているような気が致します、だから他人から
あれこれ言われると怒り出す、その昔はその前に自分は人に言われる事をしているのかな?と思い先ずもって
言われた事を聞き感謝したのでしたが、現在は反対に言った人を喧嘩でも売って来たかのように接する、これでは人間社会ではない、人間皆関わり有って生活して居るのですから皆関わり有った方がお互い楽な社会と感じ
ておるのです、それぞれ互いに関わりを持てば悪人と呼ばれる人は出来ないと思います、皆関係が有るのですから物を盗むとかた傷を付ける暴行を働くなどと云うことは出ない社会ななると思います。
自分だけが良いと言うことは「自分勝手」と言うことで他人はどうなっても良いと言う事だ、それでは人間社会で
は有りません、人間は知的集団動物なのです自分1人では生きて行けない動物です互いに関わり在ってこそ知的動物なのです。
関わり合うということで現在はまったく少なくなってしまったことがある、これも「個人の個性の尊重」という事で他人には余計なことはしないと云うことからか無くなってしまい現在の社会生活をなにかと簡素化したような気がするが、それは大きな社会的事柄になっているのではないでしょうか、それと云うのはその以前の「結婚世話焼き仲人」をする人がまったく皆無になってしまったと云うことです。
自分の範ちゅうに「見たり聞いたり接したり」する若者が居れば何かと世話を焼き「見合い」させようと奔走する
これは人間社会において大変よく出来ている社会的システムだったと思います、だから結婚に「あぶれる」者は無く皆それなりの年頃になると世話役があれこれと世話をしてくれた、また今風の仲人では無く関係の深い人が
仲人になるのですから、折り悪く離婚するのにも仲人に話ししてからと言う事になるのです、よってその原因は何かと仲人が聞き互いの言い分を吟味して上手く収まったが、現在は相手を知っているようで知らずに結婚してちょっとした事で離婚、これでは子供はたまった者ではない、このような片親子供は「個人の尊重」を履き違えると
社会環境はますます人間社会ではなくなる。
人は出来うる環境で互いに干渉し合って互いに係わり合いを持ち生活すればよりよい社会となるのではないでしょか。