私の父は飲食店勤務で
平日はいつも居なかった。


唯一の休み日曜日が、
【パパと遊べる楽しみな時間】
だった。



父は小学生になった私に
一枚の真っ白なノートを見せた。

そのノートを私の目の前で
縦半分に折ってこう言った。



今日から交換日記をしよう。
パパとあゆみ、会えない時間が多いけど
毎日このノートの一緒のページに半分ずつ一日の思い出を残していこう。

字じゃなくてもいい、
絵でもいい、
書けない日があってもいい、

ここには思うように
パパとあゆみの時間を残そう。



そして、その日から
パパとの交換日記が始まった。


朝起きるとテーブルに
パパが書いてくれたノートが置いてあった。

たまに交換日記と一緒に
菓子パンが置いてある日は嬉しくて好きだった。


私は毎日綴った。
父も毎日綴ってくれた。


忙しく疲れて帰ってきた後に、
娘との時間を毎日父なりに
作ってくれていたその想いを
今更になって色々と感じる。





低学年の頃、
“父の日の絵を描きましょう“
と製作で渡された絵の見本が
全てスーツを着てメガネをかけた
お父さんの絵だった。


よく考えたら学校で教わる
“お父さん“はそういうイメージ、
印象が多かった気がする。



でも私の父は違う。

(あの頃の父は)
Tシャツに短パン、
下駄にハチマキをして、
ビールジョッキを右手に5個持ち、
焼き鳥と煮込みを左手に器用に乗せ、
“イメージに見るお父さん“を相手に焼き鳥の煙を浴びながら
大声で走り回り汗だくになっていた。


でも私にはそれが
カッコいい父の姿だった。


土曜日になると
お手伝いをしたこともあった。

今でも覚えている。
焼き鳥をお皿に乗せてお客さんに運んだ時のこと、、


父は私にこう言った。



手を振ってくれてるあの席の
おじさんとおばさんの所に
これをどうぞしてきて。

帰ってくる時、なんでもいいからなにか持って帰っておいで。


意味は分からなかったけど
なんか子供ながらに
なんとなく理解して頷いた。

 

どうぞと渡すと、
ありがとうと言われた。


どうもと言うと、
おかわりください
グラスを渡された。



そうか、、今思えば
手を振られていたのではなく
オーダーをしたくて
手を上げているお客さんへ
父はいつもタイミングを見計らい私に料理を運ばせてくれてたんだ。



仕事中の父は
全然違う顔をしてるのに、
私が空いたお皿やグラスを
持ち帰ってくるたびに
あゆみ!いいね〜すごいぞ!
と笑顔で頭をポンポンしてくれて優しい顔だった。



確かにスーツも着てないし、
イメージのようなお父さんでは
ないのかもしれないけど
私は父の仕事場に来れることや
見れることを自慢に思っていた。



だからかそんな父の姿に憧れて
私が選んだ初めてのバイトは飲食店だった。



保護者のサインをもらう時は、、

どんなことがあっても負けるな。

逃げるな、理由にするな、甘えるな。

ただ今できることを
がむしゃらに頑張れ。

気付け、それがあゆみのいい所だから。

何度もそう言ってくれた。



昔は夜や
平日には会えなかった父と、
毎日バイトから帰ると
同じ帰宅時間になっていた。

たくさん話した。

父の観点はいつも面白くて
興味深く、楽しかった。


お店の前を掃き掃除する時は
隣のお店まで掃除をしなさい。

なんでかって?
風が吹くからだよ、葉っぱは隣に飛んでいくんだよ。

隣の人は気づかないかもしれないけど通りすがりの人は見ているよ。自然といいお店が並んでると思うんだよ。来たくなるんだよ。

そうやって当たり前のような
お互い様になれる関係を
周りとたくさん作りなさい。


そう言っていたのを
今でもなにか行動するたびに
頭によぎる、覚えている。


まだまだたくさん私に
響いた言葉がたくさんあるけど
(ちょっと長くなりましたね、、、笑)
今日はこの辺で。またいつか。





私は、そう想える父の
人間くさい所が大好きです。

多分、
得するタイプじゃないけど←笑
損だと思わない所が素敵です。




父にはまだ夢がある。

私にもまだ夢がある。

必ず一緒に交われるように
今を負けずに生きて
いつかその場所にいけたらいいな。


たくさん優しさと勇気を
父には貰ってばかりなので
必ずその夢を叶えてあげたいです。




父の日、
東京の父への思い出でした。
長々と失礼しました。思い出までに、、、




♡パパ&おとん♡
これからも元気で居てねっ!

いつもありがとう!!


ほいでは!