分杭峠から奈良井宿へ
今夜のねぐらは
鳥居峠入り口にある
峠の宿あおき
ここのオヤジ殿が
強烈!
奈良井宿入口の権兵衛駐車場で待ち合わせ
オヤジ「付いて来なさい!」
山道を
オヤジ「ばり!ばり!ばり~!」
す、すごかったです~
ケム「あの~、宿場へ行って来ます。」
宿のわきを歩いて行くと
当時を思わせる街道へ
右は中山道
左は鳥居峠
ここを抜けると
奈良井の宿場町
そして足は
フレンドさんへ
ケム「おばちゃ~ん」
おば「来たズラか~❤」
ケム「おばちゃんから買った櫛が折れちまって心配でさ大丈夫だった?」
おば「な~にも、心配いらね~ずら、ピンピンしてるずら。あはは~」
おば「まあ~上がりな、今、風呂沸入れてたずらよ❤」
ケム「・・・・・・」
おば「ほれ、ほれ~❤❤」
てなわけで
テルさん、ヒロさん
ありがとう!楽しく呑んじゃいました。
ほろ酔いのケムンパスは
宿に戻ると
今度は
あおきのオヤジ殿と
日付が変わるまで
翌日、フレンドさんへ行くと
おば「聞~いたずらよ、きんのうは そうとう呑んだって」
もう、広まっておりました。
おそるべし、奈良井宿
カフェ深山さんで一息
美味しかったでござる@500円なり
さて、お昼からは
お目当ての
お茶壺道中
この御茶壷道中は、将軍が飲み徳川家祖廟に献ずるものであるから自ずからたいへん権威があり、摂関家 や門跡 並で、御三家 の行列であっても、駕籠から降りて、馬上の家臣はおりて、道を譲らねばならなかった。
行列が通る街道は、前もって入念な道普請が命ぜられ、農繁期であっても田植えは禁止された。子供の戸口の出入り、たこ揚げ、屋根の置き石、煮炊きの煙も上げることは許されず、葬式の列さえ禁止された。権威のあるこの行列を恐れていた沿道の庶民は、茶壷の行列が来たら、戸を閉めて閉じこもった。この様子は沿道の民は非常にこれを恐れていた。お茶壺が来たら、戸をぴしゃんと閉めて閉じこもった。また、道で出くわしたら、土下座で行列を遣り過すしかなかった。茶壺の行列の様子は、現代でも童歌 のずいずいずっころばし に表現されて歌い継がれている。
Wikipediaより
な、な、なんと先頭は
あの、オヤジ殿の息子殿☝いい男なのだ!
このかごに乗っているのが主人公の
お茶壺様でござるよ
津ち川のご主人も拡声器を持って参加してましたが
今回、泊めてくれなかったので
載せません!ww
そして、
しんがりは
そう、
期待の
あの方!
オヤジ殿!
こう見えて
今回の実行委員長様なりよ
奈良井の皆さん
今回も楽しく
思い出深い旅を
ありがとうございました。