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| 国道2号線の倒壊家屋の前を通行人の列が続く =平成7年2月5日、神戸市東灘区甲南町(写真:産経新聞) |
平成7年1月17日早朝に起こった阪神大震災=(1)=は、死者6434人を出す大惨事となった。
阪神地区の惨状が映し出されたテレビ画面に、東京在住の作家、田中康夫(55)は言葉を失う。エッセーなどの舞台で多く取り上げ、暮らすことも考えた街だったからだ。
発生4日後から現地へ。大阪市内でミニバイクを調達し、《一人赤十字を気取って》飲料水や食料、衣類などを配布し、その道中で見聞きしたことを克明にルポした。
それは、雑誌「週刊SPA!」に連載され、震災翌年に『神戸震災日記』(新潮社)としてまとめられた。《ペットボトルを手渡そうとすると、もっと困っている方に差し上げて下さいと固辞する。阪神間の人々は皆、冷静で慎み深い》。こう被災者を見守る一方で《(KOBEブランドで)商売上手だったのは神戸市や兵庫県といった総体で、住民にはあまり還元されていなかった気がする》。神戸に住んだことがないからこそ、逆に客観的な視線で役所を批判する。
関西で生まれ育った村上春樹(62)は、10代の大半を過ごした兵庫県芦屋市の実家が居住不能になったことに、次のように嘆く。《僕と阪神間とを結びつける具体的な絆は、記憶の集積の他にはもはや存在しない。正確な意味でそこを「故郷」と呼ぶことは、もうできない》。10年に刊行した紀行『辺境・近境』(新潮社)に収めた「神戸まで歩く」の一節だ。「故郷」を離れてから列島改造ブームに乗り急速に開発が進んだこと、その「故郷」が《巨大な暴力》で壊されたことを悲しむ語り口は、田中の指摘と類似する。
11年、村上は阪神大震災を題材にして連作小説を文芸誌に発表。6つの短編からなる『神の子どもたちはみな踊る』=(2)=にまとめられた。宗教団体でボランティア活動する母親が神戸に向かう表題作もあるが、直接の舞台はいずれも阪神間ではない。
『村上春樹全作品1990-2000』の短編集II内の「解題」で村上本人が《フィクションの形式を使おうと決めた。地震という題材を直接には取り扱わないようにしよう。地震がもたらしたものを、象徴的なかたちで描くことにしよう》と明かしている。
地震2カ月後に起きた地下鉄サリン事件で、関係者62人に取材した聞き書き集『アンダーグラウンド』(講談社)とは対照的な扱い。「故郷」を離れて四半世紀が過ぎ、未曽有の地震も体験はしていない…。そんな感情が、神戸以外の街にいる人が神戸を想う『神の子どもたち-』につながったとも読み取れる。
地元在住の作家にとっては、避けて通れないテーマだ。兵庫県伊丹市の自宅が半壊した宮本輝(64)は13年に小説『森のなかの海』を著す。震災がきっかけで離婚した主人公が、親を亡くした少女10人を育てる作品で、困難に負けないたくましさを描いた。
恋愛小説を多く手がける田辺聖子(83)にかかると、悲惨な状況でも笑いが入り込む。講演録とエッセーで構成し、震災1年後に出された『ナンギやけれど… わたしの震災記』(集英社)では、兵庫県伊丹市の自宅で経験した地震を《強烈な揺さぶりで、フライパンで煎られる豆のように体は弾けてとびあがった》と表現した。
マンションに12時間閉じ込められた知人女性を《神戸っ子やというところを見せないかんと、口紅を塗っておりた》と描き、《(“おばちゃん頑張れ”の激励に対し)“なんでおねえちゃんて言わへんの”と言うんです。神戸っ子の変なところ》と明るくまとめる。
この笑いのネタにされた小泉美喜子(75)は当時、月刊タウン誌の編集長。13年に『作家たちの大震災』(月刊神戸っ子)=(3)=を編んだ。「『起きたことはしゃあない、なんとかなるがな』という前向きさが阪神間の人にはある。大阪生まれ、兵庫育ちの聖子さんにとって、前向きに明るく生きる、書くことはごく当然のこと」という。
自らの状況を笑いにまぶすことで、“被災者仲間”を励ますことができる-。在住作家ならではの手法というべきか。そして、普遍的な小説にすることで、震災未経験者にも痛切な感情を伝え、忘れないよう心に刻みつける村上のような作家もいる。それが文学の役割でもあり、力強さだ。=敬称略(伊藤洋一)
人口が密集する都市部を襲った阪神大震災。大正12年に起きた関東大震災以来の深刻な地震被害を、文学や音楽などは後世にどう伝えたのか。そして、未来にどんな希望を託したのか。
≪みちしるべ≫
(1)阪神大震災 平成7年1月17日午前5時46分に、明石海峡を震源地とするマグニチュード(M)7.3の直下型の地震が発生、淡路島の震度7をはじめ兵庫県沿海部の都市を激しい揺れが襲った。住宅の全半壊は約25万棟、火災での全半焼は約7500棟。被害総額は約10兆円とされている。
(2)『神の子どもたちはみな踊る』 平成11年8~12月号に文芸誌「新潮」に連作「地震のあとで」(その1~5)の副題付きで掲載。12年に、書き下ろし1編「蜂蜜パイ」を加えて単行本化された。収録作品の「かえるくん、東京を救う」は、大地震から東京を救う様子を描いた幻想的な1編。
(3)『作家たちの大震災』 新聞、雑誌への寄稿文や、小泉美喜子が編集長をしていた月刊タウン誌「神戸っ子」に掲載したエッセーなどをまとめ、平成13年2月に発刊。司馬遼太郎、阿久悠(あく・ゆう)、小松左京、陳舜臣(ちん・しゅんしん)、瀬戸内寂聴(じゃくちょう)らが思いをつづっている。
「この記事の著作権は産経新聞に帰属します。」
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