多くの人は言う、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように。主よ、どうか、み顔の光をわたしたちの上に照されるように」と。 あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びにまさるものでした。 わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。(口語訳聖書 詩篇4章6-8節)


 There be many that say, Who will shew us any good? LORD, lift thou up the light of thy countenance upon us. Thou hast put gladness in my heart, more than in the time that their corn and their wine increased. I will both lay me down in peace, and sleep: for thou, LORD, only makest me dwell in safety.
 (欽定訳聖書 Psalms 4:6-8)

   世俗的な人々は、良いものをもとめます。でも重要な良いものを求めるわけではありません。彼らが望むのは、表面的な善、現在の善、部分的な善、おいしい肉、おいしい酒、よい取引、そしてよい生活状態だけです。 しかし、これらすべてに何の価値があるのでしょうか? よいものはほとんどの人たちの行動に役立ちます。しかし、慈悲深い魂は後回しにされてはなりません。 主よ、あなたの好意を私たちに与えてください。そして私たちにはそれがあり、それ以上は望まないことを知らしめてください。 あなたの愛ある親切に満足させてください。そして、我々はそれで満足するでしょう。 多くの人は幸福を求めますが、ダビデはそれを見つけました。 神が心に恵みを与えられるとき、神は心に喜びを与えられます。 こうしてダビデは慰められ、彼は同情しましたが、最も裕福な罪人を羨んだり恐れたりはしなかった。 ダビデは自分のすべての事柄を神に委ね、神の聖なる御心を喜んで受け入れる用意ができています。 しかし、救いはキリストのうちにのみあります。 神と人の間の仲介者としてのキリストを軽蔑し、弟子たちの中であるキリストを罵る人々はどこに現れるでしょうか? 彼らが畏怖の念を抱き、唯一の救済策に対して罪を犯さなくなりますように。
 出典:Matthew Henry's Concise Commentary