「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
(マタイの福音書5章3-10節)

 私たちは人生の成果や奉仕の結果に対して責任を負いません。 人生において誠実であり、奉仕において忠実であること、つまり神に対して誠実で忠実であることだけに責任があるの。 そうすると、神は「祝福」を大量に、そして急速に注ぎ込んでくださいます。 私たちは遜って歩むことを実践し、神が与えてくださる食物に鋭い食欲を保ち、神の御手にある剪定はさみに身を任せ、そして神の御臨在の露と日光から決して離れないようにしなければなりません。 神は成果と結果の世話をしてくださいます。

  出典:The Bent Knee Time, September 19