そこでピラトはまた彼らに言った、「それでは、おまえたちがユダヤ人の王と呼んでいるあの人は、どうしたらよいか」。 彼らは、また叫んだ、「十字架につけよ」。 ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると、彼らは一そう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。 それで、ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。 兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の内に連れて行き、全部隊を呼び集めた。 そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、 「ユダヤ人の王、ばんざい」と言って敬礼をしはじめた。 また、葦の棒でその頭をたたき、つばきをかけ、ひざまずいて拝んだりした。 こうして、イエスを嘲弄したあげく、紫の衣をはぎとり、元の上着を着せた。それから、彼らはイエスを十字架につけるために引き出した。
    (マルコの福音書15章12-20節)


「はい」または「いいえ」がどれほど意味があるかは決して知ることができません。 ピラトは、イエス様の十字架刑に同意したことの重大な意味を理解していませんでした。 ピラトにとっては、取り除かなければならないおそらくありふれた単なる 1 つの非常に厄介なケースでした。 しかし、善と悪が臨界点に達するとき、些細なことは何一つありません。現代の傾向は、ピラトがしたように、最も安易な道に沿って本来あるべき道からそれていくことです。 主であるイエス様、私たちがすべてのことにおいてあなたに対して真実であるように助けてください。

出典:The Bent Knee Time, June 13.