また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。 すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。 五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。 二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。 しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。 だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。 すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。 主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。 主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。
  (マタイの福音書25章14-23節)

  私たちがどれだけ能力をたくさん持っているかとか、能力がほとんどないということは関係のないことです。今持っているもので何をするかが重要なのです。大きな才能を持つ人は、ともすれば高慢になりがちで、小さな才能を持つ人は、その小さな才能を軽んじてしまいます。哀れな愚か者たちよ。神は、多くても少なくても、才能を与えてくださいます。私たちの役割とは、忠実に全ての持つものを使って自己最高のベストを尽くすことです。そして、イエス様の霊が我々を支配してくださるなら、私たちはそうすることができるのです。

出典:The Bent-Knee Time, March 26