(7)求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 

(8)  すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 

(9)  あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。

 (10)  魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。

 (11)  このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。

 (12)  だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

  (13)  狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。 

(14)  命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
(マタイの福音書7章7~14節)

 「求めなさい、探しなさい、たたきなさい」とその確定的な結果について上記の節(7)~(11)で読むことができます。ここまで読むと、これらは美しく、容易な響きがあります。

 しかし、祈りがかなえられるための諸条件があるのです。我々は皆結果を求めます。そして神は我々が結果を得ることを望まれます。我々の祈りが「与えられ、見いだし、開けてもらえる」ために、どのように生きるかを神は明白に我々に告げておられます。祈りの答えは生活の仕方次第なのです。どんな生活を送るのかは(12)節に告げられています。そして、その生活は従順することによって決定されます。(13)と(14)節で従順することが致命的に重要であることを告げています。神が定められた目的と神の恵みに寄りすがり、神に従順しましょう。
 

参考文献:The Bent-Knee Time, July 19.