貧欲であることから守られる一つの方法とは、実際に何が我々を富める者とするかを理解することです。十分な金があれば、幸せであると多くの人々は考えます。十分な金とは、今持っているお金がどれだけ多くても、それよりもう少し多くのお金であると多くの人たちは考えます。金持ちであるということは、私たちがやりたいことをするためのお金を持っていることであると我々は思います。金持ちであるということは大きな家と素敵な車を持つことです。金持ちであるとは、最高の服を着て、楽しんで使うことのできるものを買うことです。我々がもし金持ちなら、素敵な休暇に出かけ、エキサイティングなことをするでしょう。そして、こうしたすべてのことができるなら、豊かであり、幸せであると、ほとんどの人々は考えるのです。

 

人を豊かにしたり金持ちにするものは実際に何でしょうか。

主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。(箴言10章22節)

何が本当に価値があるかを我々が学ぶときに、我々は持っているものに満足するでしょう。金と持ち物は永続するものではありません、永遠に続くものを持つときに我々は本当に富んでいるのです。こうした富を神だけが与えることができます。主イェス・キリストが、神との平安と天における永遠の住まいのような霊的祝福を与えて下さることを信仰を持って信じるなら、我々は本当に豊かなのです。我々が地上で生きている間、金やものをたくさん持っていなくても、富をもたらす主の祝福を我々は持っているのです。

 

参考文献:Starr Meade, Training Hearts, Teaching Minds, p.242-3.