十戒で神が語られることは、単に、「あれをするな、これをせよ」という命令ではありません。神は我々の態度が正しいものであってほしいのです。我々は我々に属さないものを決して取ったことはないかもしれません。しかし、それはこの十戒「盗むなかれ」を遵守したということを意味しません。この命令は貧欲を禁じているのです。貧欲とは、私たちが今持っているものに満足することなく、もっと欲しがることです。

 

しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。
わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。
ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。
富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。
金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。

(第一テモテへの手紙6章6~10節)

 使徒パウロは上記の節を書きました。人々が誘惑に陥って、何か悪いことをするのは、ほかならぬ人々が金持ちになりたいと望む時であると。我々が金を愛するとき(または金で買うことができるものを愛するとき)、我々は罪を犯し、問題に陥ります。貧欲の態度、すなわち、(もっともっと欲しい)は、我々が酷く欲しいという理由で、我々に属していないものを取るという行動を起こさせます。

 

 

参考文献:Starr Meade, Training Hearts, Teaching Minds, p.242