神の御言葉とは何ですか

旧約聖書と新約聖書が神の御言葉であり、信仰と従順の唯一の規則です。

聖書は、神の御言葉ですから、神の霊感によって書かれています。

聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。(第一テモテの手紙316節)

 

聖書は人間の作品ではなく、聖霊がつくられたものです。

こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。 

聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。 

なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。(第2ペテロの手紙11921節)

 

新約聖書におけるキリストの弟子と旧約聖書の預言者たちがキリスト教会の基礎を形成しています。

またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。(エペソ人への手紙220節)

聖書は神から出たものであるから、聖書に付け加えたり、書き加えたりしてはならないのです。

この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。 (ヨハネの黙示録22章18,19節)

聖書は信仰と従順の基準です。

ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。 (イザヤ8章20節)


聖書に取って代わる新しい啓示はありません。

アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。
(ルカの福音書16章29~31節)

聖書に反することは何であっても、却下します。たとえ、それがどんなに魅力的であってもです。

しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。
わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである。 (ガラテヤ人への手紙1章8,9節)

聖書は信仰と命の完全で完璧なルールです。

また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。 (第2テモテの手紙3章15~17節)

 

参考文献:Williamson,G.I. The Westminster Larger Catechism A Commentary, pp.7-8.