前回の記事に対して

色んな方からコメントいただいて

それだけでもありがたかったですが

自分の感受性に難があるように思っていた事が

自分だけじゃなかったのかな?

 

そんな風に思えてしまうコメントが

幾つかいただけたことが本当に驚きでした。

 

あまりに自分だけの問題に

フォーカスし過ぎているようにしか

当初は感じれなかったのに

逆に、ありがとうなんて言われた時は

その事自体が信じられないような心地でしたが

それだけで、書いて良かったなぁと思います。

 

 

 

 

1月に快の達人になりたいなと

ふと思いついた事がありました。

 

芯伝整体には快の触り方と言うのがあり

当初、その触り方が全てのように思えて

 

それを提供する事で全身緩んでもらって

身体全体の調和を取り戻すことで

心と体がバラバラでうまく笑えない人達を

ナチュラルな笑いに導けないかなと

 

それに対して、どうしたら臨場感が湧くかなと

自分がなんでそれやるのかな?という事を

もっと深掘りしたくて自分の事を書いていて。

 

 

 

そうして自分の笑い方について

スポットを当てて考えて行こうかと

思ったら、問題は笑い方だけでは無くて

自分の感情、喜怒哀楽そのものだった。

 

 

感じようとして、余計な力が心に入ったり

あるいは向き合う事自体避けていたり

 

 

そうした事から、自分の殻が厚くなり

自分の気持ちすらわからないまま

やみくもに何かに手を出してみても

継続してやり遂げることができず

 

結局は何者でもない人生を続けて

ずっと自分の殻の中で

小さな生活を繰り返しており

安定した生活の中で未来への希望が

段々としぼんでいきました。

 

 

 

 

20代の頃、小さな音楽イベントなんかで

酒をしこたま飲んで酔っ払って

感電しながら阿波踊りしてるような

ちょいとおかしな振舞いをしていると

大抵の人は警戒線を張ってくるか

離れたところで笑ってるか

大体そんな感じなのですが

 

そんな中で、時々

その阿呆に興味を持つような視線を

送ってきたりする人がいる。

 

 

そう言う人は大抵一人で来ていて

壁際で酒をチビチビ飲みながら様子伺って

あんま目立った動きはしていない。

(いきなり写真を撮って来た人間もいたけど)

 

 

そんな人間にタイミングを見計らって

自分を下げてチョッカイ出したりすると

笑いながら嫌そうなリアクションを出してくる。

 

それでも小出しに絡んでると、その人自身が

もっとオープンな振舞いをしだしたりする。

 

元々隅っこでチビチビ飲みたかった訳じゃなく

本当はみんなと仲良く楽しみたかっただけなのに

そのきっかけが全然見つける事ができなかった。

 

その隅っこに、こちらが刺激を与える事で

人がオープンになれるキッカケを作りだす。

 

それによる変化を見れるのが凄く好きで

また楽しかったでら終わるよりは

「記憶」に残るような遊び方したいと思い

若い頃はよく酔っ払っては「何か」をしてた。

(うまくいかないことの方が多かったけど)

 

 

 

 

過去にsnsなどのコミュニティで

自分の思うことを誰かに向けて述べても

それで他の誰かが変わったことは

残念ながら記憶にはありません。

 

 

ですが触れた情報にコミットして

続ける事ができれば、人は変わると思います。

 

芯伝整体も、コミットすればするほど

自分が変わっていく事を実感しています。

続ければ続けるほど、より深く

変化を続けて行く気がします。

 

 

その変化が大きければ大きい程

僕が感情のブロックによって

何も挑戦できなくなっていたように

身体の痛みや、コンプレックス

また精神的な問題によって

変わりたいと思いながらも

うまく変われなかった人達に

僕ができる事があるように思います。

  

 

そして、その変化に向かうことで

本来の自分の感情の解放ができたのなら

その後の人生の充実につながる事は

間違いないかと思います。

 

 

ヘタクソな僕の笑顔も

少しはマシになってるんじゃないかなぁ

 

 

これからは芯伝整体で学んだ事を通じて

人が変われることの手伝いができればと

そこに僕の役割があるように思うので

そこに向かって行ければと思います。

 

 

本日もお読みいただき、ありがとうございました。