1945年、日本政府がアンナン保護国皇帝バオダイをたて、
明治38年、ベトナム独立運動の指導者「ファンボイチャウ」は、
日本にベトナムの窮状を訴え、援助を求めて来日。
ファンボイチャウは、梅山(現在の袋井市梅山)出身の医師で、
神奈川県で大きな病院を開業していた浅羽佐喜太郎さんに援助を求め、
浅羽さんは、大金を与えて励ましました。
浅羽さんは、ファンボイチャウが日本を去った翌年に43歳の若さで病死。
その死を知ったファンボイチャウは、感謝の気持ちを表す為に、
浅羽さんの菩提寺に記念碑を建てました。
ベトナムと日本を結ぶ義侠の精神は、今も語り継がれています。