田村一二さんは、1909年、京都府で生まれました。
日本の障害児教育の先駆者であり、草分け的存在として知られています。
田村さんは、京都師範学校専攻科を卒業後、
京都市滋野小学校の特別学級に迎えられ、障害者教育に着手しました。
当時の我国には、わずかの特別学級しか設置されておらず、
京都市でさえ、設置校は9校を数えるだけであり、
知的障害児にたいする教育には殆んど手がつけられていない状態でした。
当時70万人いるといわれていた知的障害児は、
教育の機会からも、社会からも締め出され、
家の奥深くに、人目をはばかって、息を潜めるように暮らしていました。
田村さんは、このような知的障害児教育の萌芽期とも言える時期に、
その教育に関わり、成熟期に至る長い期間、実践を貫き、
開拓に責任を持ち、常に先頭をきって切り拓いた方です。
左から田村一二さん、糸賀一雄さん、池田太郎さん
田村さんは、近江学園などを故糸賀一雄さんとともに創設、
旧愛東町(現・東近江市)に自給自足の理想郷
「大萩茗荷村」を建設しました。