「朝鮮孤児の父」として有名な
曾田嘉伊智(そだ・かいち)さんは、1867年山口県に生まれました。
1905年曾田さんは、朝鮮へ渡りました。
1919年の三・一独立運動に際しては、
逮捕された韓国人の救援に尽力しました。
最初は日本語教師として働いていましたが十年ほどして、
拾い子や孤児のお世話を妻のたきさんとするようになりました。
その頃の韓国には、町の端に捨て子をする人も少なくなかったのです。
そんな子供達を曾田夫妻は見殺しに出来ませんでした。
その後、日本語教師をやめ、その子供達の為に保育園を開きました。
1921年、鎌倉保育園の京城支部長となり、
以来、韓国孤児の養育にあたりました。
食料や衣類がなくなると、古着や食料品をお願いして、集めました。
心ない人々はそんな彼らの姿を見て、「国の辱」と笑いました。
しかし、曾田夫妻は、アポジと慕ってくる子供達を支えにし、
ソウルの曾田夫妻の家は、そんな子供達でいっぱいになりました。
曾田夫妻は、1945年の敗戦後も、特に韓国残留を許されました。
1947年、日本での伝道の為に帰国しましたが、
日韓国交樹立以前の1961年、
韓国政府の特別のはからいで韓国に戻り、翌年、韓国で亡くなりました。
葬儀は韓国社会団体連合葬として盛大に行われ、
政府・社会団体関係者や市民2000人が参列しました。
新聞は「国境と民族の壁を越えた真実の愛と奉仕」と大きく報道しました。
曾田夫妻は、ソウルの楊花洞外人墓地に葬られています。
1962年、韓国政府は曾田さんに文化勲章を贈りました。
日本人への授章は初めてで、
日韓正常化前の当時としては、異例の事でした。
ソウル外国人墓地公園に、曾田夫妻の墓があり、
墓には「孤児の慈父」という碑文が刻まれています。
曾田夫妻は、最大の愛情を持って、子供達に接しました。
30年以上にわたって曾田夫妻によって育てられた子供の数は、
1000人を越しました。