1990年
ある1頭の馬がデビューした。
『七冠』の父『皇帝』シンボリルドルフの初年度産駒、母トウカイナチュラルの血統のグッドルッキングホース
その名をトウカイテイオー。
91年クラシック世代で同期には『名脇役』ナイスネイチャや『高性能逆噴射装置』ことツインターボがいる。
この馬は何と言ってもその競走生活がひとつの物語といっても過言ではない。
91年第58回東京優駿(日本ダービー)まで父シンボリルドルフと同様無敗で制したが、ダービーの直後に骨折が判明。これにより父子三冠馬の夢が潰えた─────
翌年当時はGⅡだった産経大阪杯で復帰後翌月の天皇賞(春)でメジロマックイーンとの世紀の対決が実現。しかしこの馬にとって3200mは距離適性が低かったのか5着と惨敗。
以後天皇賞(秋)では7着、翌月のジャパンカップこそ1着だったが、有馬記念ではメジロパーマー・ダイタクヘリオスの『バカ逃げコンビ』のペースに着いていけず11着と大敗。その後再び骨折し休養、宝塚記念での復帰を目標に動き始めたがここで3度目の骨折。93年春を棒に降る結果となったどころか秋も間に合わず、最終的にはその年の有馬記念にぶっつけで挑むことになる。
道中前年覇者のメジロパーマーによる大逃げが刊行されたがその年にクラシックを賑わせたBNW、マックイーンの天皇賞(春)三連覇を阻止した『淀の申し子』ライスシャワーなど強敵揃い。そんな有馬記念はハイペースだったが、彼は最後の直線で先頭に並びかけ、最後はダービー馬の意地を見せてビワハヤヒデに勝利。中365日でのGⅠ勝利は現在でも破られることのない記録となっている。
3度の骨折にも負けない不屈の闘志────
トウカイテイオーは奇跡の復活を遂げた。
そして翌年も現役続行を表明していたが4度目の骨折。
これがとどめとなり結果的に有馬記念がラストランとなった。
生涯戦績12戦9勝(内GⅠ4勝)
クラシック二冠と92年ジャパンカップ、そして93年有馬記念のGⅠ4勝はおそらくこの馬だけであろう。
種牡馬となった彼だがGⅠ馬は生まれず、重賞止まりの馬しか排出できなかった。
2013年8月30日、社台スタリオンステーションの馬房内で心不全を起こして息を引き取った。
25歳だった。
彼の死を受けて東京・中山・京都・阪神の各競馬場に献花台が儲けられ、彼のファンは別れを惜しむかのように献花していた。
現在墓は同ステーション内にたてられ、彼のファンが墓参りに来ている。
彼の血は今となってはその血はほぼ断絶している三大始祖の1頭、バイアリータークを源流としており、その血を繋げようと彼の息子であるクワイトファインが種牡馬となり後継を作る『クワイトファインプロジェクト』が行われており、今年デビューを迎えるテイオーノユメを初めとした少ない産駒が現在育てられている。
彼の血は確実に繋がっているのだ────
今回はここまで。
次回は『最強世代』こと98年世代を語っていこうと思う。