昨日の続きです。
このように、
日本人はあらゆる物・事を「神」とし、
精神性を感じてきました。
縄文時代は、
教科書で習ったイメージだと、
原始人みたいな人たちが生きていたイメージですが
最近の考古学では、
きちんと整えられた稲作文明が
万年単位で平和に続いていたそうです。
縄文土器というと、
複雑な模様がついています。
それに対して弥生土器は模様は消え、
実にシンプルな、道具として合理的実用的な感じです。
道具として一見よさげですが、
研究者の方の話によると、
合理性重視で、精神的なものが取り除かれたのだそうです。
ここから先は私見ですが、
精神的なものを大切にしてきたから
縄文時代は長続きしたのではないかと思います。
お米はかつては
「神様からの賜り物」でしたが、
今では「食材の一つ」になっています。
科学文明の発達も流れで発生しているので
悪いことではありません。
しかし、ここに精神的なもの
「八百万の神々」意識を忘れてはいけないのだなと思います。
ここに伊勢神宮の遷宮の在り方がとても参考になります。
普段からできることとしては
自分の周りの物や出来事に感謝し
大切にすることではないかと思います。
神社に行くことだけでなく
これも立派な「神事」の一つだと思います。