~東日本大震災から1年~

 3月11日で、東日本大震災から1年を迎えます。この日の出来事は皆さん、それぞれに印象深いのではないかと思います。私も地震発生時は職場におり、会社で一泊し、翌日なんとか市内に戻ってきたのが忘れられません。

 この震災で日本人の絆の強さを再確認しました。と同時に、それまでの「防災の常識」が通じない点が多々あったという事実を突き付けられました。そのエピソードを紹介します。

 防災士の講習では「非常食の備蓄をするなら3日分が目安」と言われていました。これには「3日間はそれぞれの蓄えで、しのがねばならない」というのと、「3日分もあれば十分でそれ以上は不要」という二つの意味がありました。

 大災害が起きれば当然、行政施設も被災し、行政職員自身も被災者です。震災発生から、被災地外からの応援も受けて、行政の被災者への支援体制が完全にでき上がるのには最大3日間は要すると言われてきました。逆に4日目以降は、行政の支援体制ができあがり、被災者への食料の支給なども行われるようになる。したがって、3日分はそれぞれで食料の備蓄が必要で、それぞれで飢えをしのぐことを覚悟すべき。逆にそれ以上の備蓄をしすぎても結果として無駄になってしまう。というのが、いわれてきた事です。

 が、今回の震災はあまりに被害が大きすぎて、支援物資の配送をめぐっても大混乱が起きるなど、この『3日間』という『常識』が通じませんでした

 改めて様々な可能性を想定した体制が必要だということを実感させられました。


~上田知事の「埼玉消防庁」構想~

 今回の東日本大震災で全国の消防隊員が、原発災害の対応など、自らの危険を顧みず被災地の救援に乗り出した姿は、日本人はもとより海外にも感動を生むものでした。

富士見市の消防を担っている入間東部地区消防組合(富士見市・ふじみ野市・三芳町で設置)からも埼玉県緊急消防援助隊を通して、被災地への派遣が行われました。

一方で、東京消防庁のハイパーレスキュー隊等の活躍が全国的にも注目されました。それはある一面においては、基本的に市町村やその共同により編成されている他の道府県の消防組織と、東京都の機関である東京消防庁の予算・人員・設備での規模の違いを見せつけるものでもあったのです。

 橋下徹・大阪市長率いる「大阪維新の会」は府内の各市町村の消防組織を統合した「大阪消防庁」の構想を掲げており、平成27年の発足を目指して、全国的にも注目をされています。

 しかし、この構想は埼玉県が先なのです。上田清司・埼玉県知事の公約にも知事当選以来、県内消防組織を統合して東京消防庁のような組織を設ける「埼玉消防庁」構想が盛り込まれています。

しかし、現行法では、都道府県知事のうち消防組織を設置する事を認められているのが都知事のみ。他の知事には認められていないため、埼玉県では、県内を7ブロックに分けて再編する案が平成203月までに「埼玉県消防広域化推進委員会」によってまとめられました。

しかし、東日本大震災を見て、本当にこの案でいいのか、私は疑問です。


ぜひ大阪に負けることなく、消防組織の強化・改革に向けた意見の発信を元祖である埼玉から行っていくべきだと思います。

 消防は現行法では、市の業務で、現在、それを2市1町共同で行っています。その組織の在り方については、もっと市議会からも、「数百年に一度の災害に備える」という「国家百年の計」を見据えた議論の声があがってしかるべきでは、といせだ幸正は考えます。