正直者の釣船清次が「藤八の妻つなの病気が治った」と奉行所に虚偽の報告をしたとは思えないので、『半日閑話』に書かれていたように疫病神と泥棒とが同一人物だとは考えにくく、清次の前に現れたのは本当の疫病神だったのでしょう。
もしくは、疫病神と泥棒が同一人物だったのなら、疫病神の神霊が泥棒にかかって、泥棒が無意識のうちに「自分は疫病神である」と口走ってしまったのかもしれません。
そして清次がその言葉を素直に受け取り、本当の疫病神からのメッセージだと信じ込んだために清次が書いた名札に神霊が宿り、病気直しの神力が発揮されたのだと思います。
神霊がかかるというと一般的には託宣や口寄せのような現象を想像し、実際江戸時代には疱瘡にかかった病人が高熱に浮かされ口走った内容を疱瘡神の宣託と理解していた例もあるようです。
しかし清次の場合のように、人の無意識に働きかけてある言動をさせてしまうという形での神霊の関与もあるようです。
『江戸のはやり神』(宮田登著 ちくま学芸文庫)によると、流行神の発生の仕方には「奇瑞(不思議なめでたい現象)」と「霊験(神仏の不思議な働きの現れ、ご利益)」があるといいます。
この場合は、疫病神との出会いが「奇瑞」に、病気が治ったことが「霊験」にあたります。
そしてこの翌年、さらに清次の名前を広く世に知らしめる出来事が起こります。