江戸時代の人々は疱瘡や麻疹、インフルエンザやコレラなど様々な伝染病に悩まされてきました。
麻疹の場合、十数年から二十数年の間隔で江戸時代を通して14回流行し、特に文久2(1862)年の流行の際には江戸だけで二三ヵ月のうちに約2万人が死亡したといわれています。
安政5(1858)年のコレラ大流行でも二ヵ月で約3万人の死者が続出し、享保18(1733)年のインフルエンザの大流行では江戸の町では夏の一ヵ月で死者8万人を数え、大混乱になったといわれています。
また疱瘡は江戸では毎年のように流行し、子供たちはまぬがれるすべがなかったので、乗り切ったときには特別な行事をして祝いました。
これらの伝染病に対して当時の人々は服薬とかの医療行為と、まじないとかの呪術的行為を併存させて対処しています。
呪術的行為では、疫病などの災難をもたらす神のよりしろを鐘や太鼓で囃し立てながら町や村の境まで送っていき、最後は川や海へ流すという疫神送りが行われたり、疫病神との約束によって難をまぬがれた特定の人物の名が書かれた板や紙の呪符を、家の門口に貼って疫病除けにしたりしました。
前にあげたアマビエなどのご利益が書かれたサイズが小さい人魚の瓦版も、疫病除けの護符として用いられたようです。