③1849(嘉永2)年閏4月中旬  越後国(新潟県)福島潟

  光る人魚

 

アマビエ出現の3年後、幕末の江戸で古本屋を営んでいた藤岡屋由蔵が書いた日記の中に出てくる記事です。

 

 

嘉永二酉年閏四月中旬

越後(新潟県)福島潟人魚の事

越後国蒲原郡新発田(かんばらぐん しばた)城下のわきに、福島潟という大沼これあり。

いつの頃よりか夜な夜な女の声にして人を呼びけるところ、

誰ありてこれを見届ける者これなし。

しかるにある夜、柴田忠三郎といえる侍、これを見届け、

いかなるものぞと問い詰めけるに、

あたりへ光明を放ちて、我はこの水底に住む者なり。

当年より五ヶ年の間、何国ともなく豊年なり。

ただし十一月頃より流行病にて、人六分通り死す。

されども我形を見る者または画を伝え見るものは、その憂いをまぬがるべし。

早々世上に告知らしむべしと言い捨てつつ、また水中に入りけり。

   人魚を食えば長寿を保つべし

    見てさえ死する気遣いはなし

右絵図を六月頃、もっぱら町中を売り歩きゆくなり。

 

 

越後国蒲原郡新発田城下に福島潟という沼の主である

光輝く人魚が現れて、

今年より5年間、諸国は豊作だが、11月頃から流行病で6割がた死亡する。

「わたしの姿やわたしを描いた絵を見る者はその災難から逃れられるので、早々に世間の人々に知らせてあげなさい」

そう言って、再び水中に隠れたといいます。

江戸の町中でこのような絵図を売り歩いていた者がいたようです。

 

 

 

①の巨大人魚の瓦版では

「人魚を一度でも見る人は寿命が延び、悪事災難に遭うことなく、一生幸せな幸運が得られる」

 

②の神社姫では

「自分の姿を描いた絵を見れば、疫病をまぬがれ長生きできる」

 

③の光る人魚では

「自分の姿や絵を見る者は疫病をまぬがれる。人魚を食べれば長寿を保てる。見ただけでも死ぬ心配はない」

というご利益が書かれています。

 

これらの文章から推測すると

「人魚を食べれば長生きできるが、食べられなくても人魚の姿や絵を見ただけでも疫病で死ぬことはない」

というご利益をうたい文句にしていたようです。

 

 

人魚を食べれば長生きできるというのは、人魚の肉を食べて八百余歳まで長生きしたという八百比丘尼伝説がもとになっています。