②1819(文政2)年4月  肥前国(佐賀・長崎県) 神社姫

 

アマビエ出現の27年前の瓦版です。

 

江戸板橋宿で医師兼寺子屋の先生をしていた加藤曳尾庵(えびあん)の随筆『我衣(わがころも)』に、当時浅草で売られていた瓦版の記事が載っています。

 

江戸ではしばしば流行ったものらしいのですが、異形の魚が出現したのを木版刷りにして売り歩く者がいました。

同年5月末から江戸では赤痢が大流行していて死者が続出していましたが、この異形の魚の絵を見れば病気にかからないといって、各家々がこれを写し持っていたといいます。

 

 

<瓦版の文>

 

当4月18日、九州肥前国の去る浜辺へ上がりしを、猟師八兵衛というもの見つけたり。

その時この魚の曰く、我は龍宮よりの使者神社姫というものなり。

当年より七ヶ年豊年なり。この頃、またコロリという病流行す。

我姿を画に写して見せしむべし。その病をまぬかれ長寿ならしむると云々。

海神のせわやき給ふか、いか成事にや。丈二丈余り、はら赤き事べにの如しとぞ。

 

 

この神社姫という人魚は前回の巨大人魚よりは小さい全長約6メートルで、人間に敵対するのではなく、人々を救う龍宮からの使者として現れ、予言と「自分の姿を絵に描いて見せれば、病難をまぬがれ長生きできる」と、除災方法を伝えます。

 

斎藤月岑の『武江年表』には、神社姫の絵を「病を避ける守りとして世間に広まっていたのを尊ぶ者もあった」という記事があり、またモデルにしたとおぼしき伏見人形も作られていて、当時の庶民に大変頼りにされていたようです。

 

この神社姫は現代でも水木プロがを描いています。