今年の夏は葛飾区郷土と天文の博物館主催の柴又まち歩き「柴ブラ」に参加しました。
葛飾区の学芸員の谷口榮さんと日本地図学会の小林政能さんの案内で、地図を片手に柴又の町を散策し、地形の凹凸の理由を解説していただきました。
江戸時代から戦国時代から時代をどんどんと遡り、飛鳥時代や古墳時代、そして縄文時代はどのような地形をしていたのかを昔の地図や地名から読み解くと、いろいろな事実が浮かび上がってきて、時空を超えた歴史ロマンにたっぷりと浸ることができました。
谷口さんは2011年のブラタモリ柴又編で、タモリさんに柴又の歴史を解説していた方だったので、その時の裏話も聞けて面白かったです。
「柴ブラ」で聞いた話によると、
古墳時代には柴又のすぐ南まで海がきていて房総半島を始めとする各地とつながり、海から江戸川(太日川)を遡って北関東に物資を流通させ、また市川へ通じる古代東海道でも物資や人を運んでいたので、柴又の地は海上交通と河川交通、陸上交通の結節点であり要衝だった、ということでした。
また、江戸川の対岸の千葉県側は20mの崖が続いていたため簡単には渡れず、唯一柴又の辺りだけは浅瀬だったので人馬が渡河できた。
そのために戦国時代にはここで国府台合戦が行われた、とのことでした。
また、金町浄水場と柴又の間には水神様の祠があり、今でも年に一度帝釈天のお坊さんがここでお経をあげてお祀りをしている。
浄水場から出てくる一番新鮮なお水を使って、名産物の草だんごが作られているのだそうです。
葛飾区の学芸員の谷口榮さんと日本地図学会の小林政能さんの案内で、地図を片手に柴又の町を散策し、地形の凹凸の理由を解説していただきました。
江戸時代から戦国時代から時代をどんどんと遡り、飛鳥時代や古墳時代、そして縄文時代はどのような地形をしていたのかを昔の地図や地名から読み解くと、いろいろな事実が浮かび上がってきて、時空を超えた歴史ロマンにたっぷりと浸ることができました。
谷口さんは2011年のブラタモリ柴又編で、タモリさんに柴又の歴史を解説していた方だったので、その時の裏話も聞けて面白かったです。
「柴ブラ」で聞いた話によると、
古墳時代には柴又のすぐ南まで海がきていて房総半島を始めとする各地とつながり、海から江戸川(太日川)を遡って北関東に物資を流通させ、また市川へ通じる古代東海道でも物資や人を運んでいたので、柴又の地は海上交通と河川交通、陸上交通の結節点であり要衝だった、ということでした。
また、江戸川の対岸の千葉県側は20mの崖が続いていたため簡単には渡れず、唯一柴又の辺りだけは浅瀬だったので人馬が渡河できた。
そのために戦国時代にはここで国府台合戦が行われた、とのことでした。
柴又から国府台方面を望む
また、金町浄水場と柴又の間には水神様の祠があり、今でも年に一度帝釈天のお坊さんがここでお経をあげてお祀りをしている。
浄水場から出てくる一番新鮮なお水を使って、名産物の草だんごが作られているのだそうです。
水神様の祠

